充たされざる者 カズオ イシグロ著 古賀林 幸訳 ハヤカワepi文庫
(図書館で借りてきた本なので、アイキャッチの画像はハードカバーです)
カズオ・イシグロ4冊目です。
感想
この前に読んだ「わたしたちが孤児だったころ」で“信頼できない語り手”というキーワードを得たので、それを頭の片隅に留めながら読みました。
とにかく、ストレスの溜まる本です。ものすごく分厚いし、登場人物はみんな饒舌で2〜3ページはふつうに喋ります。人の話を聞いちゃいません。物事は主人公(ライダー)の思うようにはほとんど進まないし、語り手(ライダー)自身も信頼できないところがある上に、いろいろと流されちゃって、読んでいていろんなところにイライラしました。
でも、気になって読み進めてしまうところが、この本の恐ろしい魅力でもあります。
いったいこの物語はどこへ進むのだろうと、気になって、結局は捨て置けずに最後まで進みます。
そして、実際のところこれはハッピーエンドなのかよくわからないけれど(大枠からいうと期待された筋書きは外れるのでハッピーエンドと言えないのだが)、なんともいえずさわやかな読後感に包まれました。
これは、「日の名残り」にも似ています。
わたしはまだカズオ・イシグロを語れるほど知っているとは言いがたいのだけれど、物語の内容(プロット)そのものではないところに、イシグロ作品の魅力が詰まっているように思いました。
だから、語り手の信頼できなさ、合理性や辻褄の合わなさは実は重要ではなく(でも、ここは普段の合理主義の世の中に生きている身としては、ものすごくフラストレーションのたまるところでもあります。普段小説を読む時は気に留めないのに、イシグロ作品は話の合理性につい着目しようとしてしまう)、語り手を通して感じられる内的世界のほうが物語のエッセンスを表現している。
ここで、原題のタイトル「The unconsoled」について考えてみた。
consoleは「慰める、慰安を与える」という意味です。unconsledは否定のunが着くので、逆の意味になります。
ライダーはこの街で、ほんとうに、いろんな人の要望に彼なりに一所懸命応えようとしています。彼らの要求は、どれも一見すると大したことになさそうに語られながらどれも時間のかかる大したことばかりで、しかもライダーががんばって応えたところで、大きく何かが変わるほどのことはないのです(むしろ良くない効果になることもしばしばある)。でも、みんなライダーがそれを応えてくれたら劇的な影響があるかのように言います。
結果的にライダーの努力はほとんど実を結びません。
ライダー自身も、最後にこの街の人と似たようなことを乗客のおじさんに試しています。でも、それもやっぱり充たされない。
最終的には、「まあいいや。ごはんがおいしければそれでいいじゃない」的なラストがなんともいえず良い味を出していて好きです。物語そのものには充たされた感がないんだけれど、ここまでたどり着けてよかった感がそれを上回って満足感を与えてくれる不思議な感覚でした。
物語の意図とずれているかもしれないけれど、
満足を得ようと思ったら他力本願なのはやっぱり良くなくて、
自分のなかに結実させていくものなんだろうなあと。
あと、悩みが解決しなくてもごはんがおいしければとりあえずそれでいいんじゃないかと思いました(笑)
ああ、あと大事なことをもうひとつ。
“良い人”のポジションで周りの人の要求に応えても、そんなに実りは得られないかもしれない。これは普段“良い人”でがんばっているかもしれない人には、こころに留めておいてほしい教訓ですね。
そういう人は、ハウツー本よりこの本を読むとストンと落ちますよ。わたしも落ちました(笑)