「鬼滅の刃」最終巻23巻感想(ネタバレあり)

(アイキャッチのために10年ぶりくらいにパソコンで絵描いた。久しぶりにしては思ったより描けた。炭治郎ムズカシイくせっ毛が足りなかったー)

 

今年2月からのにわかファンですが、映画も観に行ったし最終巻も読みました。

▽映画の感想

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わたしは2月にアニメを一気に見ました。

偶然が重なったのですが、今年のコロナ禍に鬼滅ブームはなぜか拍車がかかったんだろうなあと思います。

もちろんその前から人気だったけど、コロナ禍のなかにあって、こんなにたくさんの人を楽しませて感動させてくれた作品は稀有ではないでしょうか。ほんとうに、ありがとう。出会いに感謝です。

ついでに原作はここで完結というのも感慨深いですね。

というわけで、原作最終巻の感想を(ブームに乗っかって)書きます。

※ネタバレありです。

 

無惨との戦いの幕引き

長い長い戦いが、やっと幕を閉じる。しかし、長い! めちゃ引っ張る。

無惨の生きる執念ってほんとうにしぶとい。

そして、払った犠牲もどれだけあるんだろうというくらい計り知れないです。

 

はじめての柱合会議に登場した柱勢ぞろいのときには「こんなにたくさんのキャラ覚えられんわ」と思ったのに、終わる頃にはみんなかけがえのない人たちになっていた。(柱はやっぱり存在感が特別)

 

そして密かに、初志貫徹した善逸はすごい。「妻」発言は引くけど(瀕死なのに余裕じゃないか)、個人的には幸せになってほしい子だなあと思っていたので満足です。

禰豆子ちゃんはしっかりしているので、ちゃんと家庭の舵を握ってくれそうです。

 

無惨と炭治郎を分けたもの

無惨が自身の敗北を目の当たりにしたとき、おそらく初めて「想いが受け継がれていく」ことの強さを知ります。

それは、ある意味生まれたときから死ぬまでずーっとひとりだった無惨には、初めて知ること。衝撃的事実。

そして、自分の想いを炭治郎に託します。

 

ここで無惨が履き違えているのは、想いを継ぐのは、自分と誰かの両方の想いが必要だということ。

単に想いだけが受け継がれるのではないのです。

投げる相手がいて、それを受け取る相手がいて、はじめて想いは受け継がれていく。

 

そして、炭治郎が無惨から無理やり押し付けられたような「鬼の力」を止めたのも、また人の力でした。

禰豆子が鬼になったときに全力で炭治郎が守ろうとしたように、炭治郎が鬼になったときは、今度は禰豆子だけじゃなくて周りのみんなも必死になって、炭治郎の人の部分を守ろうとしてくれました。

これは、やっぱり炭治郎の誠実さや優しさが周りの人にちゃんと伝わっていたからだと思う。

 

そういうかたちで、伝わっていく伝播する人の”想い”もあるのです。

因果応報という言葉があるけれど、その逆に善き行いや親切な心も、人と人の間で還っていくのではないでしょうか。

 

最後の最後に、無惨の出生が少しだけ出てきました。

無惨は、生まれるときから苦難に満ちていた人だった。というか、生まれる前から。

もしかしたら本来生きられる人ではなかったかもしれないのに、「生きたい」というその想いだけで生き永らえてきたように思う。

 

でも、無惨の「生きたい」はその先にも過程にも、なにもないように思える。

「生きたい」の先に何かしたいことがあるのかと言われるとそれが、全く思い浮かばないのです。

ただ生きたいだけ。生きることだけが、この世において絶対的な唯一の復讐のように思えます。(なんに対して? というと難しいのですが、世界に対して、自分以外の全てに対してとかだろうか)

 

生まれたときから死産だった子どもが、荼毘に付される前に産声を上げた。

この奇妙な出生の事実から察するに、無惨は生まれはそれなりに裕福そうですが、おそらく親や彼を世話する人からは恐ろしく思われたのではないでしょうか。

彼のなかに存在する、根本的な人への信頼感のなさ。誰とも繋がれない感じ。それは、逆に言うと、生まれてから誰からもそうやって大事にしてもらえなかった(かもしれない)体験が大きいと思う。

 

家族がしっかりしていた炭治郎は言わずもがな、孤児でもしっかり目を離さなかった師匠に恵まれた善逸や、記憶にはほとんどないけれど母に大事にされた伊之助のように、そういう体験ってその人をかたちづくる上でとても大切です。伊之助なんか、鬼殺隊に入ってから格段に人間関係でその方面が向上している。

カナヲのように辛い体験をしながらも、後から胡蝶姉妹に拾われたことで、時間をかけて育み直した子もいます。

 

対する無惨にとっては、人とのつながりって基本的にどういうものかわからない。誰も教えてくれなかったのかもしれないし、彼自身がそういうものを受け取ることが苦手だった可能性もある。

そして鬼になると、その繋がりは根本から断ち切れる。

それでも自分の血を分け与えて鬼をつくるのは、希薄ながらも繋がりをつくること。でも、その繋がりを支えるものは、信頼ではなく恐怖による支配だから、とても脆弱。

 

善逸が兄弟子の獪岳を、善逸は「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いていて、どんどん幸せが零れていく」と表現しましたが(善逸の人を見る目はすごい)、無惨はそんな幸せな箱みたいなものがあるということすら知らないで生きてきたような気がします。

 

なんていうか、長く生きていても満たされることはなく、ただ生きているだけ。

 

まだなんか「鬼の世界をつくって人間を滅ぼしてしまえ!」とかそういう欲があるほうがまだマシという気がします。

そういう意味で、世界征服をたくらむ昔の悪役モデルはまだ牧歌的な時代に生きていたんだなあ。

 

鬼になるのがなぜ残酷なのか。

無惨が鬼にさせる方法って、無惨の地を分け与えることですが、なんていうか簡単に言うと容赦ないです。問答無用です。

他の上弦の鬼が勧誘するときと違って、比較的無惨が鬼にする描写は暴力的です。有無を言わさない感じがある。

 

そう思うと、猗窩座が煉獄さんを勧誘したときは、親切でしたよね。

あれを親切と言っていいのか疑問だけど……煉獄さんは猗窩座の誘いを断って亡くなるわけだし……でも、結果的に煉獄さんは自分が望む人間のままでいられました。

 

炭治郎を鬼にしたときも、炭治郎の意思は無関係でした。勝手に想いを託された。いらんがな。

珠代さんが、「鬼にするときは必ず本人に選ばせる」と言っていたことの言葉の重みを、最終巻で改めて感じました。

 

鬼の資質

それで、炭治郎は勝手に無惨に想いを託されて、スーパーサイヤ人……じゃなかったスーパー鬼になっちゃうわけですが、禰豆子よりも無惨よりも鬼の才能が開花しちゃった炭治郎。

え? 君は鬼殺隊より鬼のほうが才能があったんかー!!?

 

改めて、鬼の資質ってなんだろうと思いました。

炭治郎は別に鬼になりたいわけじゃないけど、鬼の資質があったようです。

それは単に、無惨の血が濃く多いだけではないと思います。多くの人(鬼も)は、その血に耐えられなくて命を落とすからです。

 

これはもう完全に仮説なんだけど。
ある意味ではそれは、一種の純粋さみたいなものじゃないかと思いました。

無惨はもう「生きたい」って欲だけにまっすぐ。

炭治郎も、とても純粋でまっすぐな人柄です。

 

そういう淀みのないものが、もしかしたら鬼として突き抜けるのには必要なのかもしれない。

鬼になるとどんどん人らしい感情を失っていくのにも通じる。

人って、迷いのある生きものだから。そういう感情は、鬼でいるのに邪魔になるだけ。

 

これまた仮説の話だけど、煉獄さんみたいな人も、鬼になったらべらぼうに強かったかもしれない。

杏寿郎さんも、類い稀にまっすぐな人だから。

それは、単に剣の腕とかそういうものじゃないものが、物差しに使われているような気がします。

 

でもね。

向いている」のと「なりたい」はまた別の話ですよね。

繰り返しになりますが、珠代さんが選ばせていたのは、相手の尊厳を考える上でとても大切なことだったように思います。

 

暴力的に、相手を支配するのはやはり間違っている。

それはほんとうの意思ではない。

 

炭治郎は、選びませんでした。

炭治郎が人間に戻ってこられたのは、いくつもの偶然と幸運、たくさんの人の協力が重なった結果だけれど、そこには彼自身の選択も関係していたように思います。

 

有限だから大切にできること、繋いでいけること

映画のほうの感想でも書いたんだけど、この作品の面白みって、有限性だと思っています。

物語の尺も、人の命も、「もっと長く続いたら良いな」と思えるのに、そうはならない現実。

 

それはある意味でとても残酷な事実です。

漫画では描かれていないけど、炭治郎たち、特に痣を発現させた人たちは長く生きられなかったかもしれない。身体も酷使していますから。

そもそも、生き残れなかった人たちもたくさんいる。

 

それでも、なんかみんなそれぞれに想いが受け継がれて、未来にはまた違ったかたちで再会できたりする最終話。全員ではないけれどみんなが笑って記念撮影できた写真も、耳飾りも、ちゃんと受け継がれていっているんだよという証として描かれている。

ひとつひとつがかけがえのないことで、なんていうかファンサービスもあると思うけど、これまでの長い長い戦いがこうやって結実したんだよという証でもあるんだろうなあと思いました。

 

(命は)長ければ良いというものでもなく、短ければ良いというものでもなく、そのときそのときを一瞬を、人と人との繋がりがまた未来に続いていく。

炭治郎の先祖が頼壱さんから受け継いだのは、耳飾りや日の型だけではなかったはず。

 

無惨は想いを受け継ぐがよくわからなかったけど、大切なことを教えてくれたバトンは、最終話で読み手にも引き継がれたのかなあと思いました。

 

結び

書いていたら取り止めがなくなってしまいました。すみません。

最終巻を読んだら、映画もまた観に行きたくなっちゃいました。

アニメはまだ無限列車編までなので、できたらあのクオリティのままで最終話まで綺麗につくってほしいなあ。

 

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

 

(ちなみに、わたしは柱では義勇さんがいちばん好きなので、最終話でお子様3人で会話しているあのシーンがめちゃくちゃ嬉しかったです!)

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