どうも。年末です。大晦日です。
年明けのバーゲンの時期をあえて避けて買い物に行ったのに、欲しい品物を選び買うミッションがハードすぎて(選ぶのにものすごく熟考する)、加えて年末の人の多さに帰りはヘトヘトで泣きそうになりました。
お正月の買い出しミッションも家族に付き添ったら(わたしは運転手)、年末のスーパーの未曾有の大混乱に気持ち悪くなっていつもの何倍も疲労感満載。(帰る前に車のなかで休まねばならなかった)
というわけで、相変わらず安定のHSP気質です(泣)
11月にHSPを知って3周年の記事を書いたので、そのときに最近の自分の心境とか今後については語ったのですが、せっかくなので違う角度からHSPについておこうと思います。
▽HSPを知って3周年の記事
※HSPといっても個人差があります。
※個人的な実感なので、ご容赦ください。
2019年のまとめ
わたしの周りでは、親しい間柄の人とはHSPについてほとんど話題にならないのですが、もうちょっと外側。
例えば、ネットの記事とか、Twitterとか、そういうレベル。あるいは、プライベート以外の場所で。
なんか、HSPについて触れることが、今年は昨年よりも増えたなあと感じました。
これは個人的な実感レベルなので、実際にどうかはわかりません。あくまで個人の実感レベル。
例えばTwitterは、わたしは昨年終わり頃から始めたので、それより前は知りません。
以前レンタルさんの本の記事でちらりと触れましたが、わたしのTwitterはブログ用とかではなく、どちらかというとお仕事よりなので、特にHSPさんをフォローしているとかでもないのです。(自分も公言していません。というかほとんど呟いていないし)
でも、HSPについてのツイートを何度か見ましたし、特にHSP(Highly Sensitive Person)が何かという注意書きがなくても、当然のように認識されている。
Yahoo!ニュースとかでも、HSPさんやHSCさんについて取り上げられている記事を何回か見ました。
書籍については、今年になって爆発的に増えたわけではないと思うけど、ずいぶんいろいろと増えたなあと思います。(これもマメにチェックしているのではないので、実感レベルがやっと追いついた可能性もあります)
仕事をしているときにも、そういうことが話題になることが何度かありました。
それらは、わたしの認識とずれることもあれば合致することもあって、「誤解されているなあ」と残念に思うこともあれば「そうそう、そうなんだ」と共感することもありました。
つまり、なにが言いたいかというと、ものすごく個人の実感レベルなのですが、HSPは年々市民権を獲得しつつあるのでは、と今年は特に感じました。これまでになかったレベルで。
もちろんこれ(HSPが多くの人に知られること)にはいろんな見方があります。
たくさんの人がそれに触れると、それぞれにいろんな意見が増えていきます。
わたしが認識していること、わたしの考えが、絶対的に正しいとも限りません。
でも、なんか「世の中には、少数派だけどとっても敏感な人もいるみたいだね」と知ってもらえるのは、悪くないなあと思います。
例えば、冒頭の大晦日のスーパーの人の多さにヘトヘトに疲れきってしまうのも、「それはあなたが(わたしが)悪いんじゃないんだ、気質の問題だよね」と説明できると、それで苦手さがなくなるわけじゃないけれど、ちょっと理解しやすくなります。
何度も書いていますが、わたしはHSPのことを知ってとても気持ちが楽になりました。
「あ、これはわたしが弱いとか悪いとかそういう問題じゃないんだ。世の中にはそういう気質の人が一定割合いるんだ」と知れたことは、ひたすら自分のせいだと思っていた当時の自分からすれば青天の霹靂でした。
それでも
いまでもやっぱり人の多いところは苦手だし
すぐに疲れやすくて、しんどいのに思考のループが止まらない
大雑把にできたらどんなに楽かと思うけど、神経質に捉えすぎてしまう
たくさんのことができない 休息が人の倍以上必要
そして、そういう自分にやっぱりうんざりする
というのはあります。わかっていても、長年の思考の癖はなかなかとれない。
でも
芸術や自然に触れると胸がいっぱいになって幸せな気持ちに包まれる
物事を深く深く考えて考察していくのも楽しい
物語や映画もたくさんの恵みを与えてくれる
ゆっくりとしたペースで穏やかに生きるのが性に合っている
人と接するとしんどいところもあるけれど、深く付き合うことの面白みも知れる
といったように、自分の良いところも見つけることができました。
本来は、HSPという名前がなくても、そういう苦手なところや得意なところを見つけて言葉にしていけたら良いのだと思う。
それは曖昧だけれども、人はそれぞれみんな違うのだから、違っているところを認め合えること。
しかし、人はつい具体的なものを求めてしまうところもあるから、名前があると安心する部分もあるんですよね。むずかしいところです。
HSPはユング派の心理学者アーロン博士の提唱したものだから、曖昧さを含んでいるところがあって、そこが批判されることもあります。
でも、DSM(アメリカの精神障害の診断と統計マニュアル)のような診断が絶対的に正しいとも言えない。確かに便利だけれど、それの弊害だってあるのです。
でも個人的には、その曖昧さも良いのだと思います。
そこには議論の余地が残されているから。
2020年も、自分なりにHSPについて考えをここで書いていきたいと思います。
来年もよろしくお願いします。