なんだかすっかりご無沙汰していたのですが、今年というか、最近のわたしのテーマは『庭』なのです。
▽庭を扱った記事
先日読んだ中沢新一さんの「アースダイバー」に、庭についての記述があったので、今回は庭をテーマに取り上げてみます。
▽「増補改訂 アースダイバー」の感想
導入:庭について
そもそもなんで『庭』がテーマなのか?
それは昨年の姫路旅行に遡ります。
わたしはもともと木や植物が好きで、姫路城に行ったときも、お城よりはお隣の好古園のほうがテンション上がりまくりでした。(また良い具合に人が少ないんだ!)
そのときに「あ、庭園って良いなあ」とふと思ったのです。
これまで木がすごく好きなのは自覚していたのだけれど、庭、庭園というものには特に関心を払っていませんでした。
ずっと前に、島根の足立美術館へ行ったときに、「おお、すごいな」と庭園の美しさにはじめて感動しました。たぶん、この頃から、「庭園って良いな」という芽はあったのです。
でも、わたしのなかでは「庭園」ってあまりに馴染みのないものでした。
だから、この新しく芽生えた感情をどう取り扱ったら良いのか、わかりあぐねました。
というわけで、掘り下げるためにも、まずはいろいろな庭園を見て回ろうと思ったのです。(←今ここ)
全然有言実行できていませんが。
わたしはフットワークが軽くないのです。時間をかける(かかる)タイプです。
いつも日々のいろんなことにいっぱいいっぱいになるので、つい優先順位から取りこぼされてしまうんですよね。
アースダイバーを通して「庭」を考える
都市というものは人類的にみても、どうも「庭」と本質的な関係を持っているらしいのである。(「増補改訂 アースダイバー」P139)
アースダイバーを読んでいるときに、『庭』のキーワードが引っかかって来ました。
庭を意味する言葉は、古くなればなるほど、神や仏の集まってくる場所という意味に、近づいてくる。神や仏は、現実の世界をつくりあげている規則やしがらみに縛られていない、自由な状態にあるもののことをさしている。(「増補改訂 アースダイバー」P139~140)
これは、都市のできかたを見たときに、「市(バザール)」から発達したものが多く、そうしてできた市を「市庭」ということもあり、これがどうも日本だけでなく世界にも共通してよくあるというところから来ています。
ともかく、庭というのはひとつのとても深い意味をもった概念で、それを植物や岩や石や水の流れなどを組み合わせて表現するときには、私たちのよく知っているあの庭園としての庭がつくられる。
(中略)
商品が自由に交換されていく空間は「市の庭」と呼ばれることになる。だからその「市の庭」の空間から発達してきた都市自身、一種の庭としての特徴を持っていることになる。
(「増補改訂 アースダイバー」P140)
わたしが着目していたのは「庭園」のほうですが、「アースダイバー」では、都市も庭の一種であると論じています。
都市は「枯山水」にも喩えられています。枯山水における苔の存在と、都市における苔を繋げて、都市における苔の役割はなんだろうか、それは路地裏に見られるようなささやかな庭ではないかといっています。(その苔が大事なんだよ、とも)
「庭」という言葉は、古い日本語の語感では、神様や仏様がそこにいらっしゃってもはずかしくないような、善と自由の支配している空間という意味をもっていた。
(「増補改訂 アースダイバー」P143)
「アースダイバー」は庭園についてではなく、都市について紐解く本なので、ここは都市論に話の論点はあります。(なのでそこは割愛)
でも、これまで「庭園」について持っていた漠然としたイメージを補完してくれるものだったので、個人的にはありがたい発見でした。
庭園
「庭」と「庭園」は言葉の意味が若干異なります。
「庭園」は、人のつくったものという重みが増します。
人がつくった極めて人工的な空間で、でも人はそこに癒しやなにかを見出します。
西欧の幾何学的な庭もあれば、日本のように「自然」をそこに切り取ったような庭もあります。
「枯山水」は、超人工的に、主に石で表現されます。
個人的には、これらがつくりだすものは「小宇宙」として共通するものがあるのではないかと思いました。
つくられている由来や意味合いは違うかもしれないけれど、どこか「庭園」は共通しているように、個人的には推測しています。(そういう意味で、日本の庭園だけじゃなくて、もっといろいろな”庭”をフィールドワークしたいんだけど、なにせわたしはフットワークが重いのでまだ実行できず……)
この推論は、あながちズレたものではないのかもと思いました。
『庭』というものが、神様や仏様がいらっしゃる場所と考えると、そこがひとつの『小宇宙』であることに通じるのではないかと思います。
ちょっとここからは持論も含みますが、『庭園』では、わたしたちは等しく庭にいることができます。(入園料を払わないといけないことはありますが)
その『庭園』にいるそのときは、自由であり楽しむことができる。
ああでも、それは、『庭園』というものに限ったことではないので
そういう意味では、もっと大きなくくりでの『庭』というものとして捉えたほうが良いのかもしれなけれど。
別に『庭園』に神様を求めたわけではないのだけれど、自然を切り取ったような人工的な小宇宙である『庭園』は、ある意味神様のいらっしゃる自由な空間ともいえるのかもしれません。
結び
わたしの『庭』についての考察は、まだ発展途上です。
今回は、「アースダイバー」に出てきた庭をもとにちょっと考えてみました。
個人的にこれには正解のあることではなくて、自分の体感したことと重ね合わせて、自分なりの答えを見つけるものかなあと思っています。
また、そのうち取り上げてみたいと思います。
関連情報
日本美の粋を極める足立美術館の公式サイト。美しい日本庭園や、横山大観をはじめとする近代日本画、北大路魯山人らの陶芸、童画…
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