劇場版「コードギアス反逆のルルーシュⅠ 興道」感想


コードギアス 反逆のルルーシュ I 興道

先月に「復活のルルーシュ」を観に行ったら、改めて劇場版3部作を観てみたくなりました(2作目は風邪で観に行けなかったし)

というわけで、今回から3回にわたって、映画版の反逆のルルーシュ3部作の感想をまとめてみます!

▽「復活のルルーシュ」の感想

とりねこブログ 

コードギアスが10年ぶりに新作ということで、一昨年から映画で三部作が公開。そして今年、ついに満を持して「コードギアス 復…

 

▽興道 予告編

 

立ち位置的に

  • 本編(テレビ版)は2~3回視聴済み。スペシャルエディションも観ている。
  • 「亡国のアキト」は観ていない。
  • ドラマCD関連とかは、噂とかちょこちょこと情報入れるくらい。そこそこ。

 

結構リアルタイムの人で、当時はサンライズの別のアニメが推しだったので、コードギアスは後から入った人です。R2はギリギリ間に合った気がする。そして最終回にショックを受けて茫然自失になった記憶がある。

今はアニメは全然観ないんですけどね(というかテレビ自体そんなに観ない)、当時はこっそり(こっそり!)観ていました。

 

劇場版コードギアスの役割

劇場版「コードギアス 反逆のルルーシュ」三部作って、単にテレビ版の短縮版じゃないんですよね。

これは「復活のルルーシュ」のための大事な布石です。

 

そのために、物語の骨格はそのままに、あの超長くて複雑な話を3部作にして、風呂敷を広げて閉じる作業と、「復活のルルーシュ」のための伏線を張り直している。

テレビ版からそのまま続編「復活のルルーシュ」になると、繋がらない部分が出てくるからです。その最たるものが”主人公のルルーシュが復活できないこと”なのですが。

 

改めて「興道」を見返すと、よくここまで削ぎ落として必要な部分を残して(場合によっては補って)描いたなあと感嘆です。なにせ登場人物は多いし、勢力図は(人物相関図も)複雑だし、初見の人は果たしてどこまで付いてこれるんだろうとも思います。

こればっかりはしょうがないですよね。

 

 

コードギアスって面白い作品だと改めて思った

コードギアスの人気の理由はいろいろあると思います。

キャラデザにCLAMPさんが関わっていたりとか、登場人物の多彩さとか、ストーリーの面白さはもちろん、ギアスという設定、サンライズらしくロボットも格好いい。登場人物の掘り下げが結構されているので、主人公だけでなくそれぞれの立場でのドラマがあり、物語も奥行きがあります。エンターテイメント性もある。

 

で、改めて映画版を観ていて、やっぱりこの作品はよくできているなと思いました。

 

というのも、作品の持つオリジナリティもあるんだけど、既存の歴史や思想、アイデアとでもいうののだろうか、そういうものをうまく組み合わせているのです。

わたしはそんなに博識ではないので、多くを拾い上げられているわけではないのですが、それでも「これは作品外の知識があるともっと面白い、楽しめるだろうなあ」という風に、ぽこぽこと思いました。

 

例えば「シンジュクゲットー」

これは、第二次世界大戦時にユダヤ人の強制居住区(ゲットー)を模しています。

「オールハイルブリタニア」もナチスの「ハイルヒトラー」になぞらえていると思う。

ゲットー内での残虐な殺害シーンは、ホロコーストの非情で理不尽な殺戮に通じるところがあります。

これらはわかりやすい一例なのですが、それ以外にもいろいろありそうなので、考察しようと思うとほんとうにいろんな視点を加えられる。そこがコードギアスの面白みのひとつでもある。

 

登場人物の多層性

ルルーシュ、スザクのメインのふたりをとってもそうなのですが、

ルルーシュは物語の主人公よろしく、正義の味方ではない。

彼は彼なりの行動原理があって動いている。汚いこともやる。

「黒の騎士団は正義の味方」と終盤C.C.に話していますが、全然正義の味方の顔じゃありません。
そもそもゼロは自分を隠すための記号だし、黒の騎士団は自分が動かしやすい駒です。

妹の前では「優しい兄」でいる。
一方で、妹の知らないところで汚いことにもどんどん手を染める。良心? それは彼の行動原理ではありません。

 

スザクは、一見すると善良でこちらの方が正義の味方っぽいのですが、彼は筋金入りの偽善者です。

枢木神社にいた頃の彼が、もともとのスザクで、本編で登場するのは「重い十字架を背負ってその重責ゆえに死に場所を探している偽善者」です。

正直、10歳そこそこの子どもがそこまでの業を背負う必要はないと思うのだけれど、ルルーシュもそうなんだけどスザクも背負ってしまう人。

スザクにとって、生きることよりも死ぬことで自分の罪が償われるほうがよっぽど楽なんだろうなあと改めて思う。

 

シャーリーの立ち位置の変化

個人的にいちばん立ち位置が変わったのがシャーリーだと思う。

というわけで、三部作を見返すのは「シャーリーがどういう役割を担っているか」に注目することでもありました。

 

もともとテレビ版では、シャーリーは「ブリタニアと黒の騎士団の対立に関係のない、一般人的立ち位置でルルーシュに関わりながら(恋しながら)、これらの被害に巻き込まれ、ギアスによって翻弄されたふつうの女の子」です。

 

生徒会メンバーでは、もともとルルーシュの素性を知るミレイさん、のちに物語にめちゃくちゃ関わるニーナを別にすると、シャーリーってほんとうに、何も関係のないところでルルーシュに関わって、ルルーシュに恋するふつうの女の子だった。(リヴァルもある意味そうなんだけど、なんだろう、リヴァルの存在感はシャーリーと違う軽さがある。そこが彼の良さでもあるんだけど)

 

ルルーシュにとって学園の生活って平穏な日常で

でも、彼がやっていることは、その平穏な日常にいるふつうの女の子、何も関係のない女の子の日常を壊すことでもあるんだよっていう象徴的な存在。

そして、R2でまたギアスの犠牲者になって、それでもルルーシュを守りたいという気持ちは本物で、それがゆえにギアスに翻弄されて命を落としてしまった。

 

何にもなかったら、ルルーシュと恋をしたりふつうの学園生活を楽しめたかもしれないのに、そうはならなかったという立ち位置。シャーリーって明るくてとっても良い子で、コードギアスの中ではめずらしく裏表のないキャラなんですけど、だからこそ彼女の犠牲はある意味象徴的でもある、大事な役割を担っている。

そこが大幅に変わった。

「興道」では、シャーリーがルルーシュを街中で見かけるんだけど、消えてしまうというシーンが数カ所追加されました。

次の「叛道」でどう動くのか楽しみです!(くどいけど、「叛道」を見逃したのでまだよくわかっていないのです。まだこれを書いている時点で見ていません)

 

関連情報

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