先日旅先で、アクシデントで時間が余ったので、映画を観に行くことにしました。
というわけで、「天気の子」3回目を観に行きました。
ついに3回目を行ってしまった。タイタニック以来の快挙です。
ちなみに、たまたまなのか必然なのか、「天気の子」を観に行くときはいつもお天気が荒れているときです。つまり、「天気の子」日和です(笑)
さすがに3回も観ていると、感想も尽きてくるので、今回は須賀さんに焦点を当ててみることにしました。
須賀さん
帆高を船の上で助けたことがきっかけで、住み込みで雇ってくれて、帆高にとってはいろんな意味で恩人。
物語のなかでは、華はないけど大事な役どころです。
夏美さんも言っていますが、帆高と須賀さんは似ているのです。
キャッチャー・イン・ザ・ライ
あるインタビュー記事で、船の上で須賀さんが帆高を助けるのは、ライ麦畑で落っこちそうな子どもをキャッチするという、あの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(帆高の愛読書)のくだりとの類似を言及されていました。
(ちょっと元の記事を探したんですけど、見つかりませんでした。すみません……)
実際の製作者の意図はわかりませんが、わたしはその解釈に「なるほど」と思いました。
というのも、須賀さんも帆高のように、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公ホールデンくんのように、たぶん自分の住んでいる世界が嫌で逃げ出した子どもだったからです。
だからこそ、帆高に自分と同じ匂いを嗅ぎとって、名刺を渡したんだろうと。
須賀さんはその後、奥さんの明日花さんと出会い、大恋愛のはてに結婚されています。
仕事も立ち上げ、お子さんもできて、順風満帆なところで大切な奥さんを事故で亡くしてしまった。
須賀さんって、大人としてはいろいろ難ありな人なんだけれど(身元不明の未成年を住み込みで雇ってあげたり、パチンコ屋さんやキャバクラ通いだったり)、でも一方でいちおう社会生活は送っていて、なんというか懐の深い人でもあります。
難があるからこそ、自身も経験者だからこそ、社会の隙間で居場所を探していた帆高をキャッチしてくれた人なんですよね。
たったひとりの大切な人のために
おそらく須賀さんを支えているものって、やっぱり明日花さんの存在です。
萌花ちゃんがいるから、タバコもやめようって思える。ちゃんとした人になろうってがんばる。
東京でひとりぼっちだった須賀さんにとって、明日花さんとの出会いは、きっと帆高と陽菜に負けないくらいかけがえのないものだったのだろうと思います。
須賀さんにとって、その明日花さんを亡くすというのは、もう世界がひっくり返るくらいの衝撃ですよ。
それでも彼は大人だから、表面上はいちおう生活をこなしているわけです。
でも、なにがって、あの自宅兼事務所。明日花さんの書き置きがそのまま残っている冷蔵庫。それは、明日花さんがいなくなってから、須賀さんのなかで時が止まってしまったことを表しています。
安井刑事に「大丈夫ですか」と言われたとき、須賀さんは自分でも気づかないうちに涙を流します。
その後、帆高を大人の判断で説得しようと試みますが、帆高の熱意に、おそらく自分の気持ちを重ね合わせて、逆に帆高を助けちゃいます。
世界が救われるなら人ひとりの命なんて仕方がない。
たったひとりの誰かを、世界よりも優先させる。
この相反するベクトルを、寸前で帆高と同じほうへやっちゃった人。それが須賀さんです。
それはたぶん、須賀さんの明日花さんへの愛情でもあります。
この相反することの是非はあると思いますし、だからこそ「天気の子」はセカイ系とも言われちゃうのだと思いますが、ここで3年後の須賀さんが一皮むけてまた格好いい。
世界よりも陽菜ちゃんを選んじゃって、罪悪感を持っている帆高に
「自分のせいだとか思うな。世界なんて最初から狂っている」
と言っちゃう。うーん、ここまで言えるのは、須賀さんだからだろうなあと思います。(わたしはこのセリフ、大好き)
ちゃっかり3年のうちに会社の規模を大きくして、以前より忙しくしていて、おそらく萌花ちゃんの養育権は無理だったんだろうけど、愛娘とも相変わらず仲良さそう。
明日花さんのいない世界でも、ちゃんと時を進めて生きていっている。
帆高の陽菜ちゃんを選んだのは、須賀さんとも重ね合わせるんだろうなあとも思う。ある意味で、須賀さんも共犯者なのです。
だからこそ、今が生きられるようにもなっている。帆高は知らないうちに、陽菜ちゃん以外の人の人生も救っていたのです。
それは、なんていうか。つまり、そういう世界も悪くないなあとも思えてきます。
まとめ
わたしは須賀さんのめちゃくちゃファンというわけではないんだけど、須賀さんを通して物語を見ると、帆高の視点から見るのとはちょっと違った大人の視点が見えて、面白いなあと思います。
帆高は子どもの危うさのある、でも純粋な視点。大人が思っているよりも複雑で、でも同時に単純でもある。(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公ホールデンは、やっぱりとても参考になる)
須賀さんは、帆高の段階を通り過ぎてしまって、でもまだ名残を残している大人の視点。帆高のような純粋なころには戻れないけど、割り切ってしまうほど物分かりも良くない。それが良い。
こうして見ると、なんというか、わたしは「天気の子」を3回も観てしまったんだけど、特定のキャラクターがすごく好きで、というのはあんまりないなあと改めて思いました。
映画全体がなんとなく好き。
個人的には「君の名は。」よりも「天気の子」のほうが好きだなあ。
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