『f植物園の巣穴』梨木香歩

 

「椿宿の辺りに」を読んでいたら、終盤に登場した「f植物園の巣穴に入りて」という手記。

それとほぼ同じタイトルの梨木さんの本があることは知っていました。

 

 

感想はこちらです。(クリックで別窓開きます)

 

となると、読みたくなっちゃうではありませんか。

梨木さんの作品は割と読んでいるほうなのですが、こちらは未読でした。

 

だったら、読むしかないではありませんか。(しつこい)

というわけで、読んじゃいました。

 

梨木ワールド全開でありました。

「家守奇譚」に似たテイストの物語です。

 

※本編の内容に大きく触れています。ネタバレ注意。未読の方はご注意ください。

※先に「椿宿の辺りに」を読んでしまった関係で、「椿宿〜」ありきの感想、「椿宿」の内容にも触れています。ご了承くださいませ。

 

感想

主人公さん(最後のほうに主人公の名が「佐田豊彦」とわかります。面倒なので豊彦さんとお呼びします。ちなみに「椿宿の辺りに」の主人公、山幸彦さんの曽祖父にあたります)の一人称視点で描かれています。

 

ところが、この一人称視点の語りが揺らぐ揺らぐ

豊彦さんは、割と近代化された合理的思考の持ち主(と本人は思っている)なのに、そうでない世界に迷い込んだものだから、途中から豊彦さんの語りをどこまで信じていいのかわからなくなります。

 

ここには、ふたつの視点の混濁が見られました。

(読みはじめた当初、主人公視点では読者にはそれがわからない仕掛け)

 

ひとつは、穴に落ちて現実世界と違う次元に迷い込んだ豊彦さんの視点。

(現実的に言えば、豊彦さんはずっと長い夢のなかで生活していたようなものでした)

 

もうひとつは、過去のトラウマによる記憶の改変。

大きくはねえやの千代さんの事故、小さくは妻の千代さんの流産にまつわる出来事。

(後者は、巣穴に落ちたあとの世界で活発化された改変でしたが、小さな改変は、日常でも起こっていたのではないかと思います。千代さんをなかったことにしてしまうほどの衝撃、本人も気づかないこころの奥のほうの)

 

それらが「歯の痛み」という日常の些細な痛みに思われるところから発端となっている。

山幸彦さんが肩の痛みで苦しんでいたように、痛みはなにか、単にからだの不調だけではないように感じられます。

 

この痛みは全体、どこからくるのか……。それは歯からに決まっている。だが真実そうであるのか。耐え難い——確かにそうだが、実際の感覚として、痛いのは歯ではないのだ。ではいったい、どこが痛むというのか」(P36 f植物園の巣穴)

——痛いのは心なのでしょう。
(中略)
——つまり痛んでいたのは私の歯ではなく、心だった、つまり、胸が傷んでいた、そう言いたいのか。
(中略)
——心はいたるところにありますよ。足にも手にも、贓物にも、もちろんのこと、歯にですら。人の身体の範疇であればどこだって、心は宿ります。

(「f植物園の巣穴」P54より)

 

まあ。もちろん。痛いところをとりあえずどうにかすること(治療すること)も大事なのですが。

この痛みの意味はなんだろう」と思いをめぐらすこと。

 

豊彦さんの場合、それはどうも裏忘れられていた、幼き日のねえやの千代さんのトラウマだったり、妻の千代さんと流れてしまったお子さんのことだったり、日頃の積み重ねで凝り固まった考え方だったり、そして理屈をつけて振り返らなくなった生家(の治水)だったりしたのかもしれません。

 

穴に落ちて、長い夢を見て、目が覚めて。

まるで「不思議の国アリス」のように、不思議な世界を体験されて、目が覚めたときにはまるで別人のようになっていたかのようです。

 

 

この物語が、「ナスベキハイエノチスイ(為すべきは家の治水)」とお稲荷さん(福助?)からのお言葉にもあるように

それはマクロでは血塗られた歴史のある実家の土地の治水でもあり(「椿宿」では、大きくは土地そのものにかかる治水にも繋がることがわかります)、ミクロでは豊彦さんの生き方、家族に関わる治水でもあった。

滞っていた流れを通し、植生を整える。それは、どこか歯の治療にも似ているような不思議な一致を感じました。

 

この後、道彦さんのあとに生まれたお子さんが藪彦と名付けられ(植物学者だった豊彦さんからすると、この名は決して適当につけられたわけではないのです)、その孫たち山幸彦さんの世代に取り残した課題が脈々と受け継がれる。

なんだか不思議な感覚でした。

 

結び

梨木香歩さんというと「西の魔女が死んだ」がとても有名なのですが

「裏庭」に通じる物語であるこちらの流れも、梨木さんらしい。

 

 

物語を読み終わったあとに生まれ出るこの感覚、こころの奥のずっと奥、たましいに触れるような感覚を生じる作家さんは、そうそういません。

というと、褒めすぎでしょうか。いいえ。褒めているのではなく。

 

豊彦さんも、なかなか意固地で偏屈な主人公さんで、孫の山幸彦さんもものすごく魅力的な主人公ではないんですが(笑。しかしいかにも豊彦さんの曾孫らしい山幸彦さんそれはそれで萌えます)、にも関わらず、物語の語り部である彼らに共感してしまうのです。

 

「椿宿の辺りに」を読み返して、感想もう一周。

変な順番になってしまいましたが

「椿宿の辺りに」→「f植物園の巣穴」→「椿宿の辺りに」

と読んでみました。

 

f植物園を経由してもう1回椿宿を読むと、「ふむふむ」と初読ではよくわからなかった流れがするすると入ってきます。

▷▷ 『椿宿の辺りに』2周目感想

 

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