久しぶりに海堂尊さんの本のお話です。
こちら、『ジーン・ワルツ』の裏のようなお話。
海堂尊さんの桜宮サーガでお馴染み、物語を別視点から捉えた作品。
今回は、理恵さんの母親、山咲みどりさんの代理母としての視点から物語が進みます。
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※「ジーン・ワルツ」は読了済ですが、ブログには感想を書いていません。
感想
みどりさんの視点から、代理母を引き受けることになった経緯、かおるとしのぶの双子誕生の物語、理恵と伸一郎夫婦のこと、生まれた子どもたちを夫婦それぞれに親権を分け、みどりさんがシッターとしてかおるくんを育てる経緯などがいろいろわかります。
まさに物語の裏舞台を垣間見れるような感じで、「ジーン・ワルツ」以外にも派生して繋がっているのでいろいろ面白い。
かおるくんの出生の秘密は、「医学のひよこ」あたりで明らかになったと思うのですが(だいぶ前に読んだからまた再読しないとな……)、みどりさんが代理母でかおるくんが生まれてからのシッターで、そして父親の伸一郎さんはかおるくんが生まれてから一度も日本に帰国していない不思議な家族関係だったのはそういうことだったのかーといろいろ繋がりました。
かおるくんたち子ども世代が主人公の「医学の〜」シリーズもまた読み返してみたいと思いました!
夫婦のかたちもそれぞれだったら親子の関係もそれぞれなんだなあ。
夫婦というと、曾根崎夫妻は言わずもがな、山咲夫妻も。
みどりさんは、表面上は普通に結婚して子どもを産んで、夫を早くに亡くして未亡人として(なぜかシングルマザーというより未亡人という言葉のほうがしっくりくる印象です)理恵さんを育て上げていますが
この娘にしてこの母あり、というくらいみどりさんも実は結構クール。
(でも奥のほうに実は熱い思いを持っていらっしゃるのも親子で似ている気がする)
それくらいの距離感だからこそ、かおるくんのシッター役に徹することもできたんだろうなあ。
双子ちゃんは生まれたときから個性がなんとなく出ていて
のんびりしたかおるくんは、シッター役のみどりさんにある意味甘やかされてのびのびと育ったのが悪くなかったんだろうなあと感じます。
印象的だったのは、みどりさんとユミさんのやりとり。
ユミさんは、マリアクリニックのなかでいちばん若い妊婦さんで、不本意な妊娠(相手の男性はトンズラ)をして、堕胎するために別の男性に協力を依頼するもこれまたトンズラされて、ひとりで産もうと決意したらお腹のなかの赤ちゃんは両腕がないことがわかるという過酷な状況に置かれています。
「でも代理母をやってみると、本当は自分の赤ちゃんも、天からの預かり物だったんじゃないのかな、という気もしてくるの」
(中略)
「赤ちゃんが天からの預かり物なら、赤ちゃんを堕ろすのはいけないこと?」
(中略)
「それは違う。赤ちゃんを堕ろすのは母親の選択よ。天からの預かり物は天に返してもいいの」
「どうしてそんな風に言えるの?」
みどりは躊躇せずに言う。
「母親ってそれくらい大変な仕事だから。仕事を引き受ける時、できるかどうか考えてから決めるでしょ。できない仕事はできない、と答えることは、いけないことじゃない。少なくとも、産んでから苛めたり捨てたりするよりは、よっぽど誠実よ」(第七章 牡丹華)
このみどりさんの「赤ちゃんは天からの預かり物」という考え方。
(みどりさんも、今回代理母を引き受けてユミさんとの会話のなかで引き出された考え)
わたしはとってもいいなあと思いました。
もちろん親子の血縁上のつながりであったり(ときにしがらみであったり)、家族の絆だったり、血縁がなくても家族として繋がりが強くなったり、そういうのもいろいろあるんだけど
もちろん親は子どもを養育する義務がありますが、ときに子どもが親の一部かのように扱われているように感じることもあります。
でも、やっぱり親子でも、親は親、子は子と、それぞれひとりの人間、別個の存在。
「天からの預かり物」であり、引き受けるからには責任を持って育てる。
責任が持てないときは「天へ返す」。
もしかしたら天へ返った赤ちゃんは、また誰かのところへ託される(誰かが天から預かる)かもしれません。
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代理出産については、いろいろな意見があります。
現代で不妊治療で苦労する夫婦も少なくないので、やはりひとつの方法ではないかとも思いますし
引き受けるほうの母体の負担もありますから、安易に決めることもできないのだろうと思います。
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