やっとやっと。読めました。
※本の内容について触れています。未読の方はネタバレにご注意ください。※ほかの村上春樹さんの作品についても少し触れています。
※ジブリの「ゲド戦記」についても少し触れています。未視聴の方はご注意ください。
感想のような読書メモ
導入
はじめて読んだ村上春樹さんの本は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でした。
友人に薦められて読んだのがきっかけ。(その友人は、いまでも親友としてつきあいが続いています)
当時本好きな親友から薦められた本は3冊あって、そのなかで春樹さんの本がいちばん難解だった。
物語としての理解が蚊帳の外に置かれたような感覚でした。
それは、拙いわたしの読書歴で、はじめての体験でした。
当時最もよくわからなかったはずなのに、最も自分のなかに残った(続いた)のは村上春樹さんでした。
とても不思議。
最近は春樹さんの本をあまり読んでいないのだけれど、読むとほかの小説にはない、不思議な心地になるのです。
それは内容そのものだけでなく、文体や読んでいる心地、感触、漂う空気感のような言葉に表せないもの。
起きていながら夢を見ている世界にいるような、不思議な心地です。
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今回のこの物語は、ずっと昔に書かれた「街と、その不確かな壁」の焼き直しのような物語なのだそうです。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で、<世界の終り>の最後に、影と別れてそこに留まることを決意した主人公。
「そのあとどうなったのかな?」の、ひとつの回答のような物語。
長年村上春樹さんの本に親しんでおられた読者には、懐かしくて新しい世界が広がっていたのではないかと思います。
わたしもそのひとりです。
感想のような覚え書き
「海辺のカフカ」の佐伯さんと、「街とその不確かな壁」の子易さん、そして主人公である「私」は、どこか共通するところがあるように思えます。
つまり、一見なんの問題もなく社会生活を送っているようなところ。
しかし、どこか欠けているようなところ。(それでいながら、それゆえか静かに誰かを惹きつけるようなところがある)
そして、自分の一部であったかのような大切な誰かをなくしていること。
おそらく彼らは、影がそのまま代わりに現実を生きているようなところがある。
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ふと、「彼女」は生まれながらに何か自分に欠けていると感じるところがあったのかなと思いました。
それを言葉で表現すると「影がない」や「一角獣のいる街」になったのではないだろうか。
もし子易さんや主人公が”後天的”に喪失したのであれば、「彼女」は”先天的”に喪失していたのかもしれない。
「当然じゃありませんか。だってあんたがこの街をこしらえたようなものなんだから」
(中略)
「あんたの助力なくしては、ここまで綿密な構築物はできあがらなかったはずです。あんたがこの街を長きにわたって維持し、想像力という養分を与え続けてきたんです」(P146 第一部 20)
彼女の語りからはじまった壁のある街は、主人公とのやりとりによって綿密に肉付けがされていきました。
そして彼女がいなくなったあとも、主人公のなかに在り続けました。
その街のなかでは、本体といわれる彼女は、17歳のまま生き続けている。
「本体と影とは本来表裏一体のものです」と子易さんは静かな声で言った。「本体と影とは、状況に応じて役割を入れ替えたりもします。そうすることによって人は苦境を乗り越え、生き延びていけるのです。(中略)気になさることはありません。なんといっても、今ここにいるあなたが、あなた自身なのですから」
(P383 第2章 44)
ふと、ジブリの「ゲド戦記」を思い出しました。
影だと思われたものが本体で、本体だと思われたものが影だった。
もしかしたら、影と思うものも自分自身で、どちらが本体で影かということはそれほど重要ではないのかもしれません。
主人公が出会った17歳の「彼女」は、影でなくその人であったかもしれない。
一方で、壁に囲まれた街で出会った「彼女」は、主人公が探し求めた「彼女」の大事な一部分ではあるけれど、本体か影かどちらであるかは重要ではなかったのかもしれない。
実は本体だと思っていた自分はあのとき壁の向こう側へ戻った影で、本体はずっと壁の中にいて、日々図書館に行き「彼女」と出会い夢を読んでいた。
でも、あのとき自分の一部(影)を、壁の向こうの現実へ戻したのも主人公自身です。
主人公は、影を見殺しにすることだってできたはずです。
もしかしたら、彼女がそうしたように。(これは勝手ないきすぎた推測ですが)
「あなたは、あなたの選び取られた世界で、あなたの選んだ人生を生きていけばよろしいのです」
(P503 第二部 55)
「あなたの心は新しい動きを求め、必要としているのです。でもあなたの意識はまだそのことをじゅうぶん把握してはいません。人の心というのは、そう簡単には捉えがたいものですから」
(P645 第三部 69)
あんなに戻りたかった壁のある街へ戻ってきたとき、それと真逆の動きが生じてきた。
影のように生きてきた主人公が、虚ながら人と出会い、少しこころが動いたこと。
その動いたこころを、キャッチして現実へ反応を返したこと。
もう17歳のころの「彼女」とのような時間は二度と還ってはこない。
でも、なにかそれと違うところでまったく違うものが生まれて、どうもそれが自分のこころが望んでいる、必要としているらしいことを掴むところで物語は幕を閉じます。
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この世界には、どうしようもなく(抗いようがなく)死に向かってしまう人がいる一方で、そのような人に惹かれながらも、その寸前で生に向かう人もまたいるのだと思いました。
(また、そのようなところに関わることなく現実を生きている人も大勢いらっしゃることでしょう)
懐かしくて、新しい出会いがありました。
関連情報
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