『シーソーモンスター』伊坂幸太郎

 

年末年始は伊坂幸太郎さんの本で年越しました。

 

※物語のネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

※引用は、中公文庫からとなります。

 

螺旋プロジェクト

螺旋プロジェクト
8人の作家が、共通ルールのもとに、原始から未来までそれぞれの時代の物語を描く。
 
螺旋プロジェクト公式サイト

 

と、わたしは螺旋プロジェクトのことは露知らず、たまたま伊坂幸太郎さんのお名前で読んだ通りすがりの者なのですが(笑)

面白そうなので他の作家さんの作品も読んでみようかな、と思いました。

 

というわけで、まだ螺旋プロジェクトのことはよくわかっていないので、単純に物語を読んだ感想を書きます。書きます。

こちらの文庫版には「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」の2つの時代の作品が収録されていますが、今回の感想は「スピンモンスター」から。

 

スピンモンスター感想

シーソーモンスターの続きで読むと、その後の宮子さんのご活躍が知れるので面白いです。

(元スパイの主婦、のち絵本作家。宮子さんカッコ良すぎる!)

 

物語が入り組んでいてややこしいのですが、そのややこしさの原因は、物語の主人公的存在である水戸くんの「記憶の不確かさ」のためでもあります。

あと、「情報の不確かさ」かな。

 

スピンモンスターの舞台は、近未来。

現代からちょっとだけ未来のお話です。

 

ちょこっとだけ未来のお話なので、現代の延長線上として「ありえるかも」と思える世界。

そういう意味で、これはSFものではなく、あくまで「伊坂幸太郎さんの物語」なんだなと思います。

 

「とにかく噂ってのは、自然に広がることもあるけどな、故意で流した奴がいる場合も多い。スピン・ドクター、スピン・コントローラーがどこだっている」

「スピン・ドクター?」

「誰かに特定のイメージを持たせるために、情報を操作するのがスピンだ。政治家がよくやる。専門家は昔、スピン・ドクターと呼ばれた」

(スピンモンスター P367)

 

この物語の厄介なところは、水戸くんの記憶も不確かだし、物語全体を取り巻く情報も不確かなこと。

後者はウェレカセリというこの世界の人工知能によってコントロールされています。

 

ちょっと漫画のお話になりますが、スパイ繋がりで(ずいぶん大雑把な繋げ方だ)

昨年ヒットした「SPY×FAMILY」という作品で(わたしも好きです。漫画もアニメも好き)

 

 

スパイのロイドさんにとって、いちばんの武器は「情報」です。

特に戦争(冷戦も)などの有事においては、情報が戦局を左右するといっても過言ではない。

過去、いろんな局面で情報は操作されてきました。

 

いや、現代においてもそれは他人事ではないのです。

 

正しい情報ってなんだろう?

そもそも伝え方ひとつに人間のバイアスがかかる。

 

人の記憶ってなんだろう?

そもそも人の記憶は主観ありきだ。

 

水戸くんの記憶が不確かだし、この物語の世界の情報もウェレカセリによってコントロールされているから、「なにが真実でそうでないのだろう」とわからなくなってきます。

むしろ真実は人の数だけあるんじゃないか、とか。

 

既視感で、現代の世界にも通じるところがあるようにも思いました。

「パスカ」(物語の世界の共通端末)やAIによって管理されている社会は、見えない大きな檻の中で監視されているようで「怖いな」と思ったり。

 

 

「現実自体が曖昧なものなんだから。事実が、水戸君の記憶と違っていたとしても、それで全部が否定されるわけではないから。水戸君の記憶通りの世界もあれば、そうじゃない世界もある。どちらが正しくて、どちらが間違いということもないんだよね」

(シーソーモンスター P416)

 

ヒナタさんの水戸くんへの言葉は、謎かけのようです。

ヒナタさんは審判のような役割の見守り手。

(実は「ヒナタ」は名前ではなく名字で、水戸くんとヒナタさんには全然甘い雰囲気がしないんだけど、このふたりほんとうに恋人なのかしらと訝しむ。これも謎)

 

水戸くんは、子どもの頃のトラウマの記憶が呼び起こされて、自分の記憶の改変に戸惑います。

どうしてそんなことが起こったのだろうと考えれば。

 

これは、ひとつの仮説として。

そうやって水戸くんのなかの柔らかくて壊れそうな繊細なものを守ったのだろうと思います。

 

「車が怖い」と思っていれば、それ以上深く掘り起こさないで済む記憶があるのです。

檜山くんを悪者に(感じの悪い人)にしておけば、自分の格好悪い姿に目を向けなくて済むからです。

 

極限に来たときに起こった、衝突。

山族と海族という物語の設定はあるけれども。

 

そういった対立と避けられない衝突を持って、水戸くんの壊れそうな心は別の方法で守られたのかなとか考えてしまいました。

これもまた、ひとつの仮説です。

 

「違う次元の話なら、争いはなくてはならないものだ。実験室でビーカーを撹拌するのと同じだ。かき混ぜなければ、実験にならないだろ」
(中略)
「ぶつかり合わなければ何も起きない。何も進化しない。衝突が変化を起こして、新しいものを生み出す」
(中略)
「争いとは、衝突することだから」
(中略)
「だとしたら、僕たちはどうすればいいんだろう。争うのが当然だというのなら、それを受け入れなくちゃいけないのか」
「それとこれとは別だ。争いはなくならない。(中略)ただ、その中でどうにか穏やかに生きていこう、と努力するのは、自由だろ」
「努力?」
「かき混ぜられるビーカーの中で、一生懸命、穏やかな時間を作るのには、努力が必要だ。平和は努力しないと現れない。努力しても平和になるかどうかは分からないが、少なくとも何もしなければ、争いは起きる」

(スピンモンスター P238〜240)

 

(この会話、水戸くんの回想での水戸くんと檜山くんの会話なんですが、後半の水戸くんの記憶の改変が発覚すると、この会話もどっちが言っていたのかわからなくなるな……)

(どちらの言葉だったかの是非はともかく、なんだかいろいろ考えさせられるお話しで、引用長くなってしまいました)

 

争いは不可避なのか。

確かに、何もしなければ火種はいともたやすく燃え広がります。

穏やかに平和を続けるために、対話の力が叫ばれていますが、それには多大なエネルギーと時間、そして忍耐力も必要とされます。

 

「歴史は勝者がつくる」とは良くも悪くも使い古された言葉です。

現代は、未だかつてないくらい情報化社会で、「ダイバーシティ」という言葉にもあるように、多様化に向かっています。

一方で、情報の取捨選択はこれまで以上にむずかしくなっている。

 

これまでは、情報を操作できる一部の人にしか与えられていなかった特権が、程度の大小はあれど、より多くの人に権利として与えられている。

だからこそ、「何を自分のなかで確かなものとして扱うか」「間違っていると気づいたときにその事実を受け入れ柔軟に対応していけるか」などを含めて、ありとあらゆる選択が求められるような気がします。

 

水戸くんはその狭間に置かれて、一時停止したように思いました。

 

 

ちょっと考えがうまくまとまりません。

でも、最後は伊坂幸太郎さんらしい、どこか希望の持てる閉じ方で、だから、中尊寺さんの言葉を引用して締めくくりたいと思います。

 

「ただ、人の感情までは完璧にコントロールできねえんだよ」彼は、それがとっておきの答えであるかのように言う。「恐ろしい事件や感動的な出来事が起きれば、人の心は動く。(中略)未来を創るのは、情報と事実だけじゃない。むしろ、人の感情だ」

(スピンモンスター P454〜455)

 

ビーカーのなかで撹拌されるように、変化は大きな衝突から起こることもある。

一度大きく膨れ上がって破裂して、そこから生まれるものもあります。

 

でも、もっと小さな、ささやかな変化がのちに大きなうねりになるような変化もあると思います。

例えば、事件に遭遇したγモコが、触発されて新作を発表したように。

 

争いをするのも人間ですが、芸術を愛するのもまた人間だからです。

物語をつくるのも。誰かの物語を読んで、こころ(感情)が動かされるのも。

 

結び

きっと1年前の同じ時期に読んでいたら、いまと違った感触を得たのでしょう。

読む時期によって、感じることも全然変わります。

 

それはさておき、螺旋プロジェクト面白そうなので、他の作家さんの作品も読んでみたいと思います。

ちなみに、今年(2023年)第2弾もはじまるそうですよー

 

関連情報

中央公論新社

「螺旋」プロジェクト 「小説BOC」1~10号に渡って連載された、8作家による壮大な文芸競作企画。古代から未来までの日本…

ついでに便乗。

どうでもいいのですが、「SPY×FAMILY」はアニメで魅力がさらに倍増した作品だなと。アーニャもヨルさんもかわいい、かわいい。フォージャー家はみんな好きです。原作漫画も好き。

「伊坂幸太郎」関連の感想を読む

「小説」関連の感想を探す

最新情報をチェックしよう!