順番が前後しますが、凪良さんの一般向けの最初の本を読みました。
これまで読んだ凪良さんの本の感想
・わたしの美しい庭
・汝、星のごとく
・すみれ荘ファミリア
・人生は続く『星を編む』凪良ゆう
(「流浪の月」も読んだけれど、ブログには感想を上げていないです)
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※本書を含め、ほかの凪良さんの本のネタバレを少し含みます。未読の方はご注意ください。
感想
順番が逆なんですが、これまで読んだ本も含めた感想。
本書が一般向け1冊目だったというので「あ、凪良さんの作品の方向性は、ここでもうだいたい決まっていたんだなあ」と思いました。
(といいつつ、今後の作品でまた全然別の方向性に別のベクトルが伸びるかもしれないけど。あくまで、現時点でのわたしの感想です)
「わたしの美しい庭」を読んだとき、百音ちゃんたち家族の在り方がとても新鮮だったんですね。
「まあ、そういうのもありだよね」と思いました。
きっとなにも知らないところで家族構成だけを聞いたら「へ???」と思ってしまいそうだけど
物語を通して、するすると入ってくる、受け容れる余地が広がった。
だから、そのあとの凪良さんの本を読んでも
「まあ、そういうのもありだよね」と何度も思いました。
家族って、お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいて。
そういう在り方だけじゃない。
いろんなかたちで身を寄せ合って生きていてもいいじゃない。
そういう考えの原点が、今回読んだ「神さまのビオトープ」にはありました。
主人公のうる波さんは、亡くなった夫である鹿野くんの幽霊と暮らしています。
作品には霊感に強い人は現れないので、鹿野くんの幽霊が本物なのか、うる波さんのつくりだした幻覚なのかはわかりません。
わかっているのは、鹿野くんの幽霊はうる波さんにしか見えないということ。
そして、うる波さんは、幽霊の鹿野くんと生活を共にすることの(一般常識的な)奇妙さを十二分に理解しつつ、それを手放せない人であること。
うる波さんと鹿野くんの幽霊というだけでも不思議な組み合わせですが
この物語には、さまざまな人たちが登場します。
いずれも、世間一般の常識からすると外れてしまうような人たち。
まさに、神様がつくりだしたビオトープです。
でも。世間の常識は誰がつくりだしたんだろう。
そもそも日本の「イエ制度」だって明治政府が勝手に作りだしたものだし
現在進行形で家族の在り方は変わってきている。
時代ごとに常識は変わっていく。
たぶん大事なのは、「かくあるべし」という在り方に沿うのではなくて
「自分たちにとって居心地の良い在り方はなんだろう」と模索することなのではないかな。
まあ、常識に沿う生き方はマジョリティになるのでラクではあるんですけどね。
この辺は、現代の不登校の増加にも通じるところがあるのではないかと個人的には思う。
マジョリティに沿って、学校に行くほうがおそらくラク。
マイノリティに自分にとって心地良い生き方を(生きる術を)模索するほうが、ずっとハードモードなのではないかと思います。
でも、それも現在進行形で変化しつつはありますけどね。
* * *
わたし自身、世間一般的にはマイノリティな生き方をしているので
(うる波さんが鹿野くんとの生活を理解されがたいと重々自覚しているように、わたしも自分の生き方を理解されがたいと重々自覚しています……)
たぶん凪良さんの本は刺さるんだろうな、と思います。
関連情報
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