『汝、星のごとく』の待望の続編。
今回も夢中で読んでしまいました。
▽ 『汝、星のごとく』の長い長い感想はこちら
※物語のネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。
感想
春に翔ぶ
北原先生のお話。
「汝、星のごとく」では、主人公二人を支える大切なキーパーソンのひとりでした。
昔生徒と恋仲になったらしい、現在はシングルファザーとして暮らす北原先生には、暁海や櫂があれほどしがらみになる「親の影」が感じられず、きっと数々の修羅場をくぐり抜けて結ちゃんとふたりで生きる道を選んだのだろうなと想像していましたが。
北原先生の過去は、想像の斜め上を行っていました(笑
ある意味で、北原先生も親のしがらみに絡め取られていた人でした(親が生きているうちだけが抜けられないわけではないというパターン)
胸が湧き踊るほどに情熱を傾けたい夢があったのに、現実には奨学金という借金だけが残って淡々と無気力に生きる日々。
自分とは対極で何から何まで恵まれているはずなのに、求めているものはそこにはない明日見さん。
このふたりが出会って、教師と生徒の道ならぬ恋に走る、というのならまだ物語は昔のメロドラマのようですが
これまた想像の斜め上の展開を走りました(笑
なんとなんとなんと
北原先生。
頼まれてもいないのに自分の子どもでもないのに不義はほぼしていないのに(生徒さんと個人的に出かけるのはちょっと問題かもしれないけど……)
勝手に結ちゃんの父親宣言。赤の他人なのに!!??
びっくりするのが、北原先生は明日見さんに恋愛感情がまったくないということです。
それなのに、明日見さんのお子さんを育てる宣言をしちゃったということ。
さすが北原先生。暁海さんと互助会結婚をし提案するだけのお方です。
心地よかった。ぼくは初めて自らの意思で、誰にも忖度せずに、自らの生き方を選んだのだ。愚かしい選択ではあったが、それがぼくという人間だったのだ。(P78 春に翔ぶ)
賢いか愚かしいか断じるなら、彼女の決断は、ぼくの決断は、これ以上なく愚かしいのだろう。けれど彼女は、ぼくは、そうしたかったのだ。自分を生きたかったのだ。他の誰でもない、この世にただひとりの自分として。(P87 春に翔ぶ)
ある意味で、北原先生も暁海や櫂に似たところがある人でした。
* * *
でも、最後に思ったこと。ここからは勝手な戯言です。
北原先生のご両親は、ほんとうに馬鹿で善良なだけの人だったのでしょうか。
たしかに。
息子が困らないようにお金を配分できなかった、その分を他人に分け与えてしまったことは、馬鹿だったのかもしれません。
でも、もしかしたら息子から見た北原先生とは異なる解釈があるのかもしれないとも思いました。
北原先生の決断が、突飛で他人には理解できない選択だったとしても「自分を生きる」ために必要だったように
もしかしたら父親にとっても、そうやって借金を地道に返し、わずかながらのお金を元従業員に分け与えるという贖罪は、「自分を生きる」ために必要なことだったのかもしれない。
一見すると、要領よく生きていないよね、人生損しているよね、という生き方。
でも、その人にとっては自分を保つために選んだ人生かもしれない。
もちろん、息子である北原先生はその犠牲者ではあると思います。
でも北原先生の選んだ道も、
一見すると「なぜあなたがそこまでしないといけないんだ」という道を選んでいる。
ある意味ではこの親にしてこの子、というような気がしました。
星を編む
わたしは出版業界の話はまったくわからないのですが
それでも植木さんと二階堂さんの話は、リアルだなあと感じました。
(リアルを知らない人にリアルだと言われても困るかもしれません……笑)
結婚して子どももいて奥さんに任せきりの昔の典型的旦那タイプの植木さん。
バリキャリで理解のある夫と暮らしジェンダーハラスメントにも負けずにがんばる二階堂さん。
男女だからやいのやいの言う人もいるけど、どこ吹く風。
ふたりは戦友という言葉がぴったりくる。
二階堂さんの、夫との関係は胸にくるものがありました。
理解のあるように見えて、理解がまったくなかった夫。
離婚の提案の仕方も実にスマートです。
ちゃんと次の相手も見つけてきているのに、不貞ではないという。
なんだろう、このモヤモヤ感。
北原先生の対極にいるような、人生勝ち組を突っ走る二階堂さんの夫裕一さん。
きっと二階堂さんと離婚して、若くて新しい奥さんとの間に子どももできて、良い夫・父を務めるんだろうなあ。
これまた表面上は、「良い夫、良いパパ」なんだろうなあああ
でも、たとえばその若い奥さんが
「私も外で働きたい。資格を取るために学校に行くからそのあいだの家事育児を分担してほしい」
とか言ったら、このスマートな人はどうするのだろう。(30代の女性なら、その道は十分非現実的ではないよ
もちろん同じことを植木さんの奥さんが言っても、植木さんも困るだろうなあとは思います(実際に困っていました)
たぶんこの問題に正解はなくて、それぞれの夫婦でそれぞれの最適解を探していくしかない。
絵理さんも、一見理解のある夫に甘えて、向き合ってこなかったツケが回ってきたのかもしれない。
夫婦で向き合って最適解を探していくって、言葉で言うのは簡単だけれどとてもむずかしいことだなと感じました。
波を渡る
「汝、星の如く」も十分に長い時間を追う物語ではあったのですが
「みんな幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」で物語って終わらないんだな。
日常を暮らしていくのが、続いていくのが人生なんだなと思った、後日譚。
サブタイトルでそれぞれの年齢がつくのが妙にリアルでした(苦笑
菜々さんと再開した、北原先生の月1回の逢瀬。
前作の冒頭のシーンにも繋がります。
まさか毎回ホテルへ行ってひとりで宿泊されていたとは(笑
(やはり北原先生は想像の斜め上を行かれるお方……!)
再会して、順番が違うけど長い年月の積み重ねで、菜々さんと北原先生はお互いに異性として意識するように……なるわけではなく(笑
やっぱりこのふたりは元教師と元生徒の関係で
でも結ちゃんの育ての父親と生みの母親という変な関係。
結ちゃんにとっては、父親は北原先生だけで、たぶん暁海さんも菜々さんも、母と呼ぶけれど北原先生ほどには「親感」はないのだろうなあと思います。
薄いけれど、なにかの絆が緩くいろんなところにつながっている。
そんな結ちゃんも、結婚、出産、離婚を経て、シングルマザーとしてバリバリ経営者にまでなられました(笑
結ちゃん、たくましい。
そしてそして。
互助会からはじまった草介さんと暁海さんの夫婦。
恋愛感情もなく、見合い結婚でもなく、ほんとう紙切れ1枚の戸籍上の夫婦なんだけど、長い年月をかけて一緒に暮らすなかでゆっくりと化学作用が起こるような関係性の変質。
なんだかとってもいいなと思いました。
最後にもう一度、北原先生の言葉を引用
賢いか愚かしいか断じるなら、彼女の決断は、ぼくの決断は、これ以上なく愚かしいのだろう。けれど彼女は、ぼくは、そうしたかったのだ。自分を生きたかったのだ。他の誰でもない、この世にただひとりの自分として。(P87 春に翔ぶ)
簡単なようで、とてもむずかしいこと。
決断したあとも、人生は続いていくのです。
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