梨木さんのエッセイは折に触れて読んでいるのだけれど、なんだかとても時間の流れを感じました。
というのも、今回は”老い”や”コロナ”がよく描かれていたからかもしれません。
今回の感想部分では書いていないけれど、自分と遠い世界にいらっしゃる作家さんが、自分と近いもの(つまりコロナのような、世界中で共有されるできごと)を体験しておられるのを読むと、遠い世界に住むと思われた方々が身近に感じてくるのです。
リアルタイムで、同じものを体験されている不思議。
感想
付箋を貼って印象的だったところをまとめてみました。
本を読み終わって、感想を書くのに1ヶ月ほどブランクがあるので(ほんとうに最近ブログ作業に向き合えない…汗)、記憶の片隅を頼りに。
老いとどう向き合うか
本書には、主に3つの老いが描かれていたように思います。
ひとつが、梨木さんの知人のSさん。もうひとつは、梨木さんのお母様の介護。
最後のひとつが、梨木さんがご自身の老いと向き合うこと。
これは、知人のSさんの話。
しかしそこまでショックを受けずとも良かったのだ、と今は思う。私はあのとき、以前のSさんを失うように思ったのだ。けれどそれはそうではなかった。Sさんの大きな人生の流れのなかで、きちんと家事をしていた日常の時代が過ぎて、いろいろ不如意になる時代が来たというだけの話なのである。
(P18 個性は消えない)
例えば穏やかな冬の日、陽の降り注ぐ部屋のなかで、そういうふうにSさんと時間を過ごしていると、Sさんは、昔からずっと連続してこのSさんに繋がっているのだ、と皮膚感覚で会得したものだった。なんというか、そこにSさんがいる、そのことだけで十分なのだった。
(P20 個性は消えない)
Sさんはだんだんと老いが進んで、シャキシャキと家のことをしていたかつての姿は失われ、やがてグループホームへ入ります。
もう家事はしないのに、昔の名残で、腕に袖まくり用のゴムをいつも巻いているSさん。
老いは誰にでも訪れます。
認知症の進行は人によって違うけれど、多かれ少なかれ、認知機能の低下は等しくやってきます。
わたしも、日々自分の親が老いていくのを間近で眺めています。
幸いにして母はまだお元気なほうだけれど、やはり少しずつ以前できていたことができなくなっていくのはわかります。
亡くなった父のほうは、パーキンソン病という脳の病気があったので進行はもっと顕著でした。
自分もいつかそうなるのかな、と想像すると不安になります。
自分や身近な大切な人が、わたしの知るその人(自分)でなくなっていくのではないかという不安。
でも、梨木さんの本を読んでいて「ああ、そんなに怖がらなくていいんだ」と思いました。
まるで小さい子が親に怖い夢を見たときに「よしよし、大丈夫だよ」と言ってもらえたような感覚。とでもいうのでしょうか。
老いは等しく誰にでもやってくる。
赤ん坊が、少しずつ世界に手や足を広げていくように、その逆の過程が、老いていくとやっていくのだろうと。
たとえ論理的に考え抜く力をなくしても、動けなくなっても、私たちには幸福で満たされる可能性があるということ。さまざまな「感じ方」を楽しむ術を、身体の各所が持っているということ。諦めないでください。
(P22 個性は消えない)
(主に加齢によって)脳が損なわれても、皮膚や腸も、感じ取る力を持っているという話から。
私たちが「生きる」ということは、脳の力だけではない。
赤ちゃんの話に通じますが、まだ言葉を習得していない彼らは、しかし、生まれたとのそのときから(あるいは生まれる前のお母さんのお腹のなかにいるときから)、たくさんのことをそれこそ身体全体で受け取っているのです。
それと同じように、老いて言葉で表現することが拙くなっても、皮膚や腸(!)という感覚器官が感じ取るちからはまだ残っている。
「どうせわからないだろうから、適当にやっても問題ないだろう(傷つかないだろう)」
と、思われることもあるけれど、それは大いなる誤解です。
赤ちゃんだろうと高齢者だろうと、感じ取るちからは備わっている。
介護で「ユマニチュード」という認知症ケアを聞いたことがあります。
ユマニチュードとは「人間らしさを取り戻す」ことを意味する言葉で、フランス発祥の認知症のケア技法のこと。人間らしさと優しさ…
老いをどう捉えるのか、少し奥行きが広がったような心地がしました。
自分との付き合い方
そもそも付き合うに苦手だった人はいうに及ばず、好感を持っていた人とさえ、学校を卒業したり職場が離れたりするといつしか疎遠になってしまうものだけれど、自分自身とはそういうわけにはいかない。自分が大好き、というひとはいいのだが、世の中には自分のことをあまり好きになれないひともいるだろう。いやむしろ、大嫌い、というひとさえある。他人なら遠ざかっていけるものを、逃げようもなくじっくり付き合い、人間というものを学ぶように天から配剤された課題——それが自分なのだ。
(P84 半返し縫いの日々)
わたしも、長いこと自分との付き合い方が苦手な人でした。
20代のころは、自分のことが嫌で嫌でたまらなかった。
30代。少しずつそういう嫌な自分とも向き合って(大変に苦しい時間でもありました)、折り合いをつけて、「まあこういう自分でいいか」と思えるようになりました。
おかげで今は、今まで生きてきた人生でいちばん生きやすく幸福な時間を過ごしています(笑)
これを10代から身につけていたら、わたしの人生はもっと彩りが変わっていただろうにと思うけれど、それはまあ仕様がない。
他人なら距離をとって離すこともできる。
家族でも、場合によっては疎遠にすることもできないこともない。(むずかしいこともある)
でも、「自分」とだけは、どうしようも離れようもない。
たしかに。と思いました。
群の中で生きていけないというのは、群れの「型」に当てはまらない個性の持ち主だったのだ。そうなると、自分の居場所は自分で作るしかない。もしもそういうコースがあるとしたら、負け組即ち敗者と簡単にはいえなくなってしまう。自然がその種に用意した多様性は、天候の不順や災害や事故、ありとあらゆる可能性を含めてその種が生き延びるための、セーフティーネットでもあるから、今が生きにくいからといって、明日もそうだとは限らない。
(P158 敗者の明日)
「多様性」とか「個性を大切に」というけれど、建前と本音は別だったり。
かえって多様性という言葉に踊らされていたりもしますが。
そもそも、種としてそれ(例えば群れで生きられない個性)が不要であるのならば、とっくの昔に淘汰されていたかもしれない。
せかせかした人と、のんびりした人が、両方いたほうがバランスがとれるように
群れのなかで適応できない人は、そういう個性の持ち主なのだろう。
もちろん適応できない苦しみもあるけれど、一方でそこに縛られない生き方ができる可能性を持ち合わせている人かもしれない。
一面的な見方ではなく、多角的に眺めること。
わたしは、まあ割と、群れのなかで生きづらいほうの人間だったので
「そうか。そういう考え方もあるのか」と思いました。
あと。
群れのなかにいても、実は居心地がそんなに良くなくて、合わせられる能力はあるんだけど生きづらいって人もなかにはいると思うんだ。
そういう人にとっては、群れで生きづらく自分の居場所を探す人は、ある種の希望かもしれません。
言葉を介さない付き合い方
言葉という手蔓がなく、文化的コードに頼ることもできないとき、生き物同士はどう「付き合ったら」いいのか。この絵本で推奨されているということは、何もせず、動かず、目を合わさず、少し遠くにいること。そしてなんとなくうれしい気分でいること。つまりどうやら、世界の一部になって、同じく世界の一部である相手を感じ続けることらしいのだ。そうしてゆっくり、相手に認知されるのを待つ。
(P274 あるべきようは)
河田桟さんが、『ウマと話すための7つのひみつ』という絵本で馬との付き合い方について書かれていたことを、著者がヒメネズミとの邂逅で取り上げておられます。
これ、ウマやネズミに限らないように感じられて、思わず付箋をつけてしまいました。
最近、これと似たような体験をしたからです。
わたしたちは、言葉があるとそれですべてわかりあえると勘違いをしてしまって、でも実際はそう簡単ではなくて、言葉があるからこそわかりあえるけれど、誤解やすれ違いも生じる。
それこそ一面的にならずに、言葉というツールを持ちつつ、でもそれ以外の方法にも目を向けて生きていきたいなと思いました。
そうやって、自分や誰かと接することは、自分や誰かにとってやさしい世界となるのではないでしょうか。
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