下巻になりました。とても不思議な気持ちになる小説です。
いや、小説のなかにも、不思議なことがいっぱい起こっています。
▽上巻までの感想はこちら
アムリタ
「どんな意味? アムリタって。」
「神様が飲む水っていう意味なんだ。甘露ってよくいうでしょ。あれ。生きていくってことは、ごくごくと水を飲むようなものだって、そう思ったんだ。なんとなく」
(「アムリタ 下」P285)
今回は、竜一郎さんの言葉を引用しています。
やっぱり、小説家なだけあって(というと、小説家という職業にプレッシャーを与えそうだけど)、彼は言葉の紡ぎ方がうまい。
下巻は、さらに変な人が登場して、ますますこの物語の不思議感が強まってきます。
竜一郎さんもだいぶ変わっている人だと思うんだけど、物語のなかでは比較的まともな人にみえてくるから不思議です(笑)。
なんというか、ちゃんと現実を生きている人、という気がする。
そして、真由よりは、朔美のほうが、ふたり一緒にいて互いに重しになるようなカップルなんだなあと、なんとなく感じました。
いれもの
「君が、どんどん変化していくのを見ていると、人間っていうものは本当に、いれものなんだ、と思うんだ。いれものなだけで、中身はどうにでもなるって。
(中略)
運命の成り行きで、君はつぎつぎ新しいものを中に入れていくけど、その変化するいれものにすぎない君という人間の底のほうに、なんだか『朔美』っていう感じのものがあって、たぶんそれが魂っていうものだと思うんだけど、それだけがなぜかかわらなくて、いつもそこにあって、すべてを受け入れたり、楽しもうとしている。」
(「アムリタ 下」P137)
下巻では、旧朔美と、新朔美があることがきっかけで混じり合い、新旧朔美というか、ハイブリッドな朔美になります。(言葉で書くとすごく変な感じだ)
どこか、混じりあっていて、ハイブリッド朔美(わたしが勝手に命名)は、旧朔美とも新朔美とも違う感じ。それで由男くんはちょっと哀しがるんだけど。
上巻のときに、「私が私というものってなんなんだろう?」と思考の袋小路に陥っちゃったんだけど、その答えも、やっぱり物語のなかにありました。
竜一郎さん、すごい。
よくよく考えると、この人は旧朔美も新朔美も、ハイブリッド朔美もまるごと受け入れちゃった懐の深さがあります。
たぶん、由男くんの次に朔美の微妙な差異に気づきのある人だと思う。
この「いれもの」という表現は、なるほどーと深く頷きました。
わたしも、ちょっと似た考えを持っていました。
人間は、「身体」という目に見える容れ物と、「こころ」という目に見えない容れ物を持っている。
そして、「こころと身体」は、もっと大きなくくりでいうと、「魂」の容れ物でもある。
「こころと身体」は現世のものだけど、「魂」はめぐるもの。
「日常の力」
ばななさんが、「日常の力」と題してあとがきを書かれています。
この物語は、いろいろと不思議なことが起こったり出会ったりと、不思議な物語なのですが、その”非日常感”よりは、”日常”のほうが物語の根底を支えているのだと思います。
例えば竜一郎さんと過ごす何気ない時間とか、由男くんと一緒に話をしたりすることとか。
とっても奇想天外なことが朔美には襲いかかるんだけれど、それでも日常を生き抜くこと。
日常って、地味なんだけど、それだけで実は救いにもなるし、癒しにもなる。
ハレとケでいうと、ハレはやっぱりたまにでいいんです。
ケをどう過ごすか。それが大事なんだろうなあ。
結び
一時期吉本ばななさんの本はよく読んでいたんだけど、なんとなく感触は残っているけど、細部はなぜかおぼろげです。夢を見ている感覚に似ている。
改めて、わたしにとってまだ掴めない小説家さんです。
また他の作品も読んでみようかな。