孤独 作ること 生きること『静かに生きて考える』森博嗣

 

森博嗣さんのエッセィ(あえて森さん風に・笑)は、これで2冊目。

実はこれまで小説を読んだことがない不届者です。(すみません…

 

そういう人が、タイトルにだけ惹かれて、読んでみた感想をつらつら覚え書きしました。

 

感想

孤独について

孤独」と「孤立」は違うと、どこかで読んだことがあります。

「孤独」=「孤立」とイコールで捉えられがちだけれど、そうではないと。

 

孤独を味わえる人は、人生を豊かに生きられる人でもある。

 

そよ風が気持ちが良い季節になった。この静けさは、ひとりぼっちのときほど爽やかに感じられるものだと思う。孤独とは、静かでのんびりとして、ゆるぎのない幸せを感じさせてくれる時間のことではないだろうか。

(P44 第5回 五月が一番夏らしい季節)

 

「孤独」をこんなにもさわやかに表現することができるのだと初めて知りました。

 

孤独の時間は、とても大事なもので、できるだけ多く一人の時間を持ち、有意義に使ってほしい。一人で考える時間が、人を成長させるだろう、とも思っている。

(P188 第25回 書くこと 作ること 生きること)

 

一人でいる時間が、その人の人生を成長させる。

タイトルの「静かに生きて考える」にも通じるところだなと思いました。

 

ありきたりの言葉かもしれませんが、一人で居られるから、誰かとも一緒に居ることができる。

 

「信頼」も作るもの

「作る」が、工作からなぜか人間関係にまで派生して。

ああ、「作る」って、目に見えるかたちあるものだけではないんだなと気づきました。

 

わたしたちは、日々いろんなものを「作って」いるのです。

 

人は生きている間、ずっとなにかを作っているのだ。たとえば、料理は普通に思いつくだろう。それだけではない、人間関係、地位、権利、そして自由なども、自分の力で作るものだ。これらは別の角度から見て、「信頼」とも表現される。

(P225 第30回 ものを作るときに考えること)

 

 信頼は、何を材料にして、どのような構造で、そしていかなる手順で構築されるのかと考えてみよう。
 家族も友情も作るものである。今どき流行りの絆も、「つながり」も、作らなければ手に入らない。どこかに売っていたり、偶然見つけられるものではない。

(中略)

それらは完成してお終い、というものではない。その状態が持続することが本来の価値なのだ。持続するための工夫が常に必要だし、あらかじめ、そういったことを想定して築かなければならない。

(P225 第30回 ものを作るときに考えること)

 

家族も友情も作るものである」という一文に、とても納得。

そのあとにも続きますが、できて(完成して)おしまい、ではないのです。

例えば「友達ができる」「家族ができる(結婚する、子どもができる、etc.)」それで終わり、めでたし、めでたしではない。

 

実はそのあとのほうがずっと大変。

関係性を持続するためには、工夫が必要。それこそ相手に合わせたオーダーメイドな。

ときにいろんな努力や忍耐もしなければなりません。

 

関係性は相互的なものだから、相手が応える気がなければうまくいかないこともある。

それでも、持続するための工夫も「作る」ことに含まれるのだと。

 

愛情さえあれば、それで充分だと考えて作られたものは、強力な接着剤でなにも考えずに組み立てられた工作物に似ている。どこかの材料が劣化したときに、取り替えることができない。直しにくいものだ。一部の構造が強ければ、そこに力が集中してしまうから、比較的弱いところが壊れるだろう。

(P225~226 第30回 ものを作るときに考えること)

 

愛があればなんでも乗り越えられる(いまやこういう表現も古いでしょうか……)というのは幻想であるとも言われます。現実はそんなに甘くないとも。

それを工作になぞらえて表現されると、「ふむふむ、なるほど」と納得。

 

『「頑張る」の反対は、「余裕をもって」』

こちらは、『第31回「頑張って」はいわない方が良い?』のサブタイトルです。

「頑張る」の反対は、「頑張らない」ではなく「余裕をもって」。いいですねえ

 

頑張ると、集中してしまい、周りが見えなくなる。そうではなく、余裕をもって、少し力を抜き、わざとゆっくりと、きょろきょろして、ほかごとを考えつつ、取り組むことで良い結果を生む場合が多いだろう。

(P233 第31回 「頑張って」はいわない方が良い?)

 

 なにものにも増して大事なこと、それは「余裕」である。
 余裕には、時間的なもの、金銭的なもの、スペース的なもの、がある。このいずれもが必要であり、さらに、能力的な余裕もあった方が良い。自分の能力の最大出力ではなく、少しセーブして挑む方が良い結果となる。目一杯ではなく、八分目をリミットだと考えること。

(P233 第31回 「頑張って」はいわない方が良い?)

 

これにはふむふむと思いつつ(概ね賛同しつつ)、もうちょっと思うことがあります。

 

自分の最大出力を一度知ることもひとつなのかなとも。

がむしゃらにやってみて(それこそ『頑張る』をやってみて)、「これはもう限界だー」と思うところを知っておく。

そこから、8割(個人的には6割くらいでもいいと思う。最大出力を8割にしておく)のちからで「余裕をもって」取り組む。

 

いろんな挑戦がおおらかに許される若いときにやっておくといいんだろうなと思います。

ただ、最大出力でやって潰れてしまっては(例えば休職になるほど体調を崩す、心身を病む)元も子もない。

となると、95%くらいの「これ以上するとやばいな(自分が壊れるな)」と思えるくらいのところがいいのでしょうか。

そう思うと、それも「余裕をもって」かもしれません。1〜5%の余裕。

 

余裕をどう捉えるか。人によります。

でも、なんにせよ余裕って大事ですね。肝に銘じたいと思います。

 

結び

わたしのなかにはなかった考えに触れると「そうか、そういう考え方もあるんだ」と発見したり、あるいは「そうそう、そういう言葉で表現したかったんだ」と言葉にならないものをいただいたり。

小説を読むのとはまた違った、人生の指南書のような存在にもなります。

それこそハウツー本を読むよりも、もっと奥深く面白い発見があります。

 

でも、せっかくだし。

今度は森さんの小説もぜひ読んでみよう。

 

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