『私の源氏物語ノート』荻原規子

今年の大河ドラマは紫式部が主人公なので、「源氏物語」が熱いですね。

大河はあまり見ないのですが、平安時代が舞台ということで今回は一話から見ています。

 

 

荻原規子さんが源氏物語を訳したことは、昨年知りました。

そのうち読んでみたいなと思っていたら、先にこちらの本を読んでしまいました。

*  *  *

※古典に詳しくない人が、適当に考えたことを書いています。ご了承ください。

 

源氏物語の知識はほぼ「あさきゆめみし」から

わたしは古典は得意ではなかったので、その方面の知識は恥ずかしながらさっぱりです。

10代のころは平安時代は憧れたし(戦国時代の血なまぐささより、平安時代の雅さに惹かれた人です)、家に大和和紀さんの「あさきゆめみし」もあったので、子どもの頃はよくわからないまま熱心に読んでいました。

 

 

おかげで高校生になる頃には、国語の便覧に載っているあの超ややこしい源氏物語の人物相関図が綺麗にわかるようになりました。

その後コミックスは残念ながら処分してしまったんですが、何度もボロボロになるまで読み込んだので、いまでも内容はよく覚えているし、今回紹介する本を読むときにもそのときの記憶がとても頼りになりました。

今更ながらに、大和和紀さんの「あさきゆめみし」の質の高さに感服です。

 

その後、現代語訳本(谷崎本と瀬戸内本だった気がする)にも2回くらいチャレンジしたのですが、1巻で早々にリタイアしてしまいました……(諦めが早い

というわけで、わたしがこれを書いている時点での源氏物語の知識は、「あさきゆめみし」と国語便覧の解説くらいなものです。

 

それでも、今回の荻原規子さんの「源氏物語ノート」は興味深く読むことができました。

10代の頃に読んだときと、大人になったいまでは違った感慨が芽生えたのも、面白いなと思います。

(本来は、荻原版現代語訳を読んだあとに本書を読んだほうが良かったのでしょうけど、そこはまあ巡り合わせということで)

 

感想

今回も3つピックアップしてみました。

  • 女三の宮
  • 源氏の君
  • 紫の上

 

古典の素人が適当に書いている戯言ですが、お付き合いいただけるとうれしいです。

女三の宮

「思えば、何ごとも受け身で通し、周囲の思惑に流されるだけだった女三の宮が、初めて自分の意志で行ったことが、この出家でした」

(P158 源氏ノート17 若い女の出家 〜宇治十帖のくり返し〜)

 

今回改めて本書を読んで源氏物語を振り返ったときに、昔と印象が変わったのは女三の宮でした。

 

女三の宮は、生まれの高貴さ(朱雀院の娘で、藤壺の宮の姪にあたる)とは裏腹に、幼く内面が未熟な女性として描かれています。

 

「十四歳の女三の宮は、体が小さく内面も未熟でした。可憐ではあっても言動のすべてが幼稚です。源氏は、紫の上を引き取ったころを思い返し、彼女がどれほど才気のある少女で、相手のしがいがあったかを思い知ります」

(P63 源氏ノート6 似姿の連鎖 〜藤壺の宮から浮舟まで〜)

 

昔のわたしは、紫の上がいちばん好きだったので(実際紫の上は理想の女性として描かれている)、藤壺の宮の執着を捨てきれない源氏に辟易して、女三の宮の劣る面に「ふんふん、やっぱり紫の上のほうが素晴らしいでしょ」みたいに思っていたのですが(こうやって書くと性格悪いな……

 

改めて眺めると、女三の宮は当時の貴族社会の高貴な女性としては身分の割に残念なところがあるけど、ひとりの女性として見ると、男の人が守ってあげたくなるようなかわいらしいタイプの人だったのではないかなと思いました。

紫の上のような天性の才気には敵わないけど、おっとりとして素直な気質は、付き合う殿方によってはプラスに働きそう。(良い感じに伸びる可能性もある)

実際、琴の練習に熱心に取り組む彼女は、とても健気でもあります。

 

当時の価値観からすると、女三の宮も浮舟も、男性からの評価は高くないのですが

無知や内面の育ちの未熟さは、彼女たちの一部であって全体ではない(ある意味で環境に恵まれていない面もある)

 

ある意味傲慢な男性側の評価であり、そこをしたたかに描く紫式部の筆力のすごさを感じます。

 

源氏の君

昔、河合隼雄先生の「源氏物語と日本人 紫マンダラ」を読んだことがあります。

河合隼雄先生は、「源氏物語」は源氏を中心に据えたマンダラのようだといっていました。

 

 

 

作者が女性であり、当時読まれていた時代背景を考えると、光源氏は当時の女性にとって理想的な男性として描かれる都合の良い男性像だったのだろうというのは、荻原さんも同様の見解を持っておられます。

いつの時代も、女性はイケメンの推しを持つことで現実生活に潤いを持たせるのでしょうね(笑

 

昔「あさきゆめみし」を読んでいたときは、「源氏の君がいかに素晴らしい男性か」の視点で描かれていたので、あまり気づかなかったのですが

今回本書を読んで、荻原さんの冷静な考察を読んでいると

光源氏も完璧じゃないひとりの男性だなあ」と感じるようになりました。

 

良い意味で人間くささを実感(笑

「源氏をパーフェクトな人物に描かなかったところに、『源氏物語』という作品が1000年を超えて残った理由がありそうです。この人なりの欠点があり、周囲の人々を幸せにできないのですが、完全に軽蔑することもしにくいあたりが、たいへんうまく描けているのです。」

(P196 源氏ノート21 若い源氏の甘え 〜夕顔と朧月夜〜)

 

確かに、改めて源氏を眺めると「この人顔がいいだけでけっこうひどいけど、なんだかんだで憎めないよね」という人物。

 

そもそもお父さんの奥さん(藤壺の宮)への初恋をずっと引きずってて

幼女誘拐もするし(紫の上)、数々の女性と関係を持つし(身分や年齢関わらず)

挙げ句の果てには政敵の娘さん(朧月夜の君)にまで手を出して、田舎で隠遁生活送るはめになるし

年齢上がっても、かつての恋人の娘さんにまで言い寄るし(玉鬘の君、梅壺の女御)

不義の子を産んで出家した若い奥さん(女三の宮)にも未練がましいし

ずっと最愛の女性(紫の上)には女性関係で苦労かけっぱなしだったし(挙げ句の果てに愛想をつかれる)

 

控えめに言ってもひどい。

 

でも一方で

関係を持った女性の面倒をまめまめしく見てあげるし(花散里、末摘の花、空蝉など。特に末摘の花は最大の出世株)

紫の上が亡くなったあと1年もずっと悲しんでいるし

 

あ、あれ?? これはひどい、に比べてあんまり良いところが思い浮かばない(笑

でも、「なんだか憎めないよね、この人」というのは感じます。

 

あと、いつの時代も顔とお金と権力は正義なんですね(苦笑

結局褒めているのか貶しているのかよくわからない感想になった。

でも今回本書を読んで、そういう「完璧そうで完璧ではない光源氏」の姿にちょっと軌道修正できたのは良かったなと思います。

 

紫の上

源氏物語では理想の女性として描かれる紫の上。

わたしも御多分に洩れず、源氏物語では紫の上がいちばん好きでした。

(いまだと、葵の上の生真面目な不器用さのほうが好感が持てるかも。夕霧は母方に似て良かったですね。まあ、真面目すぎて後年落葉の宮との恋に走って雲居の雁にキレられるわけですが・笑)

 

でも今回、本書を読んで当時の女性の置かれていた厳しい立場を考えると、なんだか単純に理想の女性以外の感情が湧いてきました。

たぶんこれは、わたし自身の変化もあると思う(個人的なことなので今回は割愛

 

紫の上は、藤壺の宮の同母の兄、兵部卿の宮の娘です。

幼い頃に源氏が勝手に連れ去ってしまったのもあるし、兵部卿の宮自体にも力があるわけでもないので、実家の後ろ盾がない。

宮家の血筋(高貴な血筋)を持っていても、それがそのまま女性の身分には繋がらない。

 

それは、落ちぶれた末摘花の君のところ(父親は亡き常陸の宮で、彼女もれっきとした宮家の血筋)で痛いほど生々しく描かれています。

つまり、この時代の貴族女性は、実家の後ろ盾がいかに太いかで生き方が決まった。

 

だからこそ、「中の品」(中流)の女性の範囲は、とても広かったのです。

生まれが高貴でも、中の品に入ることもあった。

 

そのなかで、紫の上は実家の後ろ盾もなく、源氏の愛だけを頼りに生きてきた女性。

紫の上個人の能力が高くて、周囲がいかに素晴らしい女性と認めていても

源氏が女三の宮を娶っただけで、あっさりとその座(北の方)から押しやられるほど、脆く崩れやすいものだった。

 

 

女三の宮や浮舟などにも当てはまりますが、当時の貴族の女性に許された自由はある意味で出家することだけでした。

紫の上は、源氏への愛が冷めてしまってから何度か出家を願い出ますが、源氏の許しを得ることができません。

 

「紫の上も、源氏が許さなくては、自分の一存で出家するのは体裁が悪く、できないと考えています。最後まで気くばりの人なのです。
 しかし、気くばりだけの問題ではなく、源氏の意向なしには何もできないのが紫の上の現状だからでしょう。源氏が与えるものしか持っていない、「私にあるのは、源氏の君ただお一人の愛情だけ」という身だからです。
 女三の宮にも、朧月夜にも、朝顔の姫君にも、望めば出家できるだけの経済力や人脈がありました。
 六条院の栄華の中心を占め、だれよりも輝いた紫の上だったのに、そうした方面ではどの女性よりも貧しかったのです」

(P180 源氏ノート19 源氏の出家願望 〜紫の上との対比〜)

 

なんと、当時は出家も楽にできなかったのです。

当時と現代を比べるべくもないのですが、自由に生きることのできない女性の身の上を考えると、紫の上への見方を以前と違ったものにさせました。

 

もともとは源氏は、紫の上を藤壺の宮の代わりとして自分好みの女性として育てていました。

でものちに紫の上が亡くなって心痛を極める源氏が気づくように、紫の上は藤壺の宮とは異なる、独自の才気を有する類稀な女性でした。

源氏への愛情が冷めてしまっても、最期まで源氏への心配りを忘れなかった紫の上。

 

いま書いていて思ったのですが、葵の上と同じくらい、ある意味では自分のこころに不器用な人だったのかもしれません。

(境遇や家族の縁はまったく違うおふたりであり、当時の状況では現代のものさしで比べてはならないし、そのようにできるべくもないのですが)

 

*  *  *

 

一夫多妻制は時代や文化によって古今東西さまざまあります。それが良い方向に当てはまるケースも確かにあるのでしょう。

でも、女性側の苦難は現代も昔もさして変わりがないし(制度が違っても

女心がわからない男性という構図も、さして変わりがないのだろうなと思いました。(その逆も然り)

 

だからこそ、源氏物語は約1000年という長い年月を経過しても色褪せないのでしょうね。

 

結び

荻原規子さんは一時期すごく好きだった作家さんで、勾玉シリーズも、西の善き魔女シリーズも、RDGシリーズも、そのほかの本も熱心に読んでいました。

個人的に「薄紅天女」がいちばん好き。

最近は遠のいていたのですが、世の中の源氏物語ブームに乗っかって、わたしも荻原版源氏物語を読んでみようと思いました。

 

いま、ちょっとずつ読み進めています。

 

関連情報

おまけ。心理学者の故河合隼雄先生の、源氏物語の考察。

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