本書を読むきっかけは、「3月のライオン」から
わたしは将棋については素人だし、昨今の将棋ブームもそんなに自分の生活に影響がありません。野球やサッカーに比べると、ちょっとだけ興味があるかなという程度です。
そんなわけですが、先崎学先生といえばわたしのなかでは羽海野チカさんの漫画「3月のライオン」のコミックスで将棋コラムを書いておられるプロの棋士さんです。
そしてその文章は将棋のわからないわたしが読んでもわかりやすいものでした。
だから、コミックスに載っている千崎先生のコラムは、ストーリーの合間のちょっとした楽しみでもありました。
わたしにとって、ちょっとだけ将棋の世界に触れる場になっていたからです。
それが、こともあろうに「3月のライオン」が映画化されて(前後編ちゃんと観に行きましたとも)、時間差で藤井聡太さんが有名になって世が将棋ブームになっているそのとき(13巻が発売されたとき)に「あれ、先崎先生のコラムがない?」という事態が起こっていたのです。
「3月のライオン」は1年に1巻くらいのゆっくりとしたスパンで出る漫画なので、その次に出た14巻で、先崎先生のコラムが復活していて、そこで初めてうつ病でおやすみされていたことを知りました。
▽ちなみに14巻からブログでも感想書いています(宣伝)
14巻で先崎先生のコラムが復活していて、うつ病でお休みされていたことを知りました。そこで紹介されていたのが本書です。そうなったら、読むしかありません。
うつ病についてちょこっと
「うつはこころの風邪」という言葉が一時期有名になりましたが、この言葉には一長一短があります。
個人的な見解として
- 風邪のように、誰でもなりうる病気
- しかし、風邪のようにすぐには良くならない(軽く見れない)
- 脳の病気でもある
- こころが弱い人がなるのではない。誰でもなりうる可能性はある。
うつ病ってとっても奥が深いのです。そういう意味では風邪と似ている。でも似て非なるものでもある。
当事者の声
本書は、先崎先生がうつ病になってから回復するまでの経過を、回復後期に振り返って書かれた手記です。
プロの棋士さんというのは、数学者並みにハイスペックな方々なので、ここまで詳細に書くことができるんだろうなと思います。
(先崎先生は文章の構成力のなさに嘆いておられますが、十分わかりやすいです。逆に普段どんだけハイレベルな文章を書いておられたんだと思う。自分の文章力のなさに泣けてくる。それ今関係ないけど)
同時に、うつ病が単に「こころの病」ではなくて、「脳の病」でもあること(精神科医の先崎先生のお兄様が「うつ病は脳の病」と本書のなかで言っています)が、ものすごくわかりました。
つまり、いかにして認知機能が低下するか、脳の能力が低下するかがよくわかるのです。
これは、プロの棋士として普段脳の力を存分に使っておられるからこそ、余計に際立ってわかるんだろうなと思います。
わかりやすいところでいくと、文章が読めなくなる、次の行動に移る(例えば朝顔を洗うなど)にものすごく時間がかかる、自分で物事を決めるということができなくなる。当然のように、将棋が指せなくなる。
特に将棋を通していかに脳の機能が低下しているかが描写されているので、わかりやすいと思います。プロの棋士さんが、小学生レベルの5手詰からリハビリをしないといけないほど、将棋のちからが落ちるのです。
気持ちの問題だけではないのです。気分の障害だけではないのです。
翻って、例えばサラリーマンとかだと、うつ病になる手前には仕事のパフォーマンスはぐっと落ちているだろうなと容易に想像できます。でも、それを判断できる力も落ちているから、ますます頑張って遅れを取り戻そうとする。ますますパフォーマンスは落ちる。でも、もう自分で休息をとったほうがいいとか、うつ病になりかけている(なっている)とは判断できなくなっている。悪循環、さらに悪化……というケースは多いのではないでしょうか。
先崎先生も、うつ病になる前は超オーバーワークになっておられました。
ちょっと1日休息したくらいでは回復しないところまで行ってしまわれて、そうすると回復するのにものすごく時間がかかる。そしてうつ病の回復は、身体の病気の回復よりもずっとわかりづらい。一進一退で、ほんとうにゆっくり、少しずつなんですね。
だから、うつ病で休職した人が、復職したときも、いきなり元の業務に戻るのはそれは無理だろうと思いました。
うつ病でお休みしている人が、旅行に行ってリフレッシュできるのって、「なんだよ、仕事休んで旅行は行けるのか」とこころない人が言ったりするけど、実はとってもすごいこと。元気な人が旅行に行って楽しめるのと同じレベルと思わないほうが良い。そこまで回復できただけでもすごい。でもまだ、仕事に向かうだけの脳のパフォーマンスは戻ってないかもしれないんだなあと思いました。
頭で知識として知っていた部分はあったのですが、先崎先生の生の体験談を読むことで、ダイレクトに伝わってきたものは、知識レベルと全然違いました。
当事者の声って、やっぱり質感が違います。
印象に残ったところ
本のなかから、印象に残ったところをいくつかピックアップしてみます。
『医者や薬は助けてくれるだけなんだ。自分自身がうつを治すんだ。風の音や花の香り、色、そうした大自然こそうつを治す力で、足で一歩一歩それらのエネルギーを取り込むんだ!』
(P66より)
1ヶ月の精神科への入院後、退院時に精神科医のお兄様から言われた言葉です。「とにかく散歩」と勧めておられました。
この精神科医のお兄様の「必ず治ります」という短いメールが、先崎先生にとっていつも大いな励ましになっていたそうです。
専門家ならではの格言だなあと思います。
前に「一流の頭脳」という本にも書いてあったけど、やっぱり運動は脳に良い効果を及ぼすんですよね。そして、自然の刺激って人工物に比べると柔らかいから、外に散歩に出て五感も程よく刺激されるのは、回復に大事なんだろうなと思います。
あと、『自分自身がうつを治す』というのも大事なポイントです。
「要は自分なりの思考法を見つけることである。もちろん簡単ではない。自分を救うことは、他人を救うことと同じくらい難しい。ましてやうつの人間においては」
(P107より引用)
先崎先生は、絶望の際まで行きながらも、自分で立ち上がっていこうとする気概を持っておられたように思います。
でもそれって、「要は気持ちの持ちようだよね」なんて単純なものではなく、格好悪いくらいネガティヴ思考に苛まされて(うつ病の特徴です)、希死念慮もやってくるくらい自分が自分であることが辛くなるし(以下同文)、その苦しみって、当事者にしかわからないものであると思う。
だから「がんばって」はとても酷な言葉なんだろう。
だって大抵の場合、うつ病ってがんばりすぎてなっちゃう病気だし、回復するために当人はものすごく自分のなかでがんばっている。外目から見えないだけで。
「「棋樂」のベランダにハンモックを持ち込んだのもこの頃だった。(中略)あまりお客さんが来ないのというのも相変わらずで、多い時は七、八人。すくない時で四、五人。指導対局を終えるとヒマなので、ベランダで一服してハンモックに寝転がって過ごす。こんな生活をしていれば、うつ病になんかならないんだろうなと空を見上げてみる。」(P158より引用)
「棋樂」とは、先崎先生と奥様がつくられた、アマチュアの将棋や囲碁をされる(奥様はプロの囲碁棋士穂坂繭さん)方のための場所です。
わたしはこの一節が妙に気に入りました。というのも、実に緩いんだけど、これくらいの緩さを持っていることって、うつ病にならないための大事なポイントだと思うからです。
そういうこころ持ちを体感することって、とても大事なことです。
最後に、だいぶ回復してきた頃に、先崎先生が精神科医のお兄さんとの会話での、お兄さんの言葉。うつ病に対する社会の偏見についての話で、「偏見はなくならないよ」とお兄さんは言っています。
『人間というのは自分の理性でわからない物事に直面すると、自然と遠ざかるようになっているんだ。うつ病というのはまさにそれだ。何が苦しいのか、まわりはさっぱりわからない。いくら病気についての知識が普及したところで、どこまでいっても当事者以外には理解できない病気なんだよ』
長年精神科医として、多くの患者さんと接してこられたからこそ言える重みがあります。
この後、「うつ病は必ず治る病気」「自殺は絶対にいけない」と言い、弟さんに手記を書くことを勧めたのもお兄さんです。
回復の力になったもの
うつ病って個人差があるので、人によっては回復までに時間がかかります。
もちろん復帰できたのは、先崎先生ご自身のちからも大きいのですが、それを支えたものの存在も大きかったと思います。
家族のサポート
奥様、そして精神科医のお兄様の存在。
具体的になにができるわけではないからこそ、当事者の最も近くにいる家族って辛くもなるんですが、でもやっぱり家族がそばにいることは、とてもサポーティブなんだなあと思いました。
例えば、朝なんにもできない先崎先生ですが、奥さんは何も言わず(たぶん)朝ごはんを作ってくれています。そういう何気ないことも実はとっても大事なんだと思います。
お兄さんの、短いけど「必ず治る」というメールは、とても偉大です。長い目で見守る姿勢、ゆっくり腰を落ち着けて待つことも、それって家族にとってもすごーく大変なんだけど大事なんだろうなあ。
棋士仲間の存在、サポート
お見舞いに来てくれた棋士さんや、退院後も会ってくれた棋士さん。
また、リハビリとして行われた将棋で、プロの棋士として手を抜かずに向き合ってくれた棋士の方々(奨励会の方々)の存在はとても大きかったと思います。
一緒にごはんを食べたり、同じ時間を過ごす。
1回2回で何かが変わるわけではないんだけど(退院して間もないころは、ちょっと会っただけで次の日には寝込むほどの疲れが襲っておられます)、そういう積み重ねって回復の一助になっているんだと改めて思いました。
前提として、人と会えるまでにエネルギーが回復していることもあります。
将棋というものがあったこと
終盤に、中学生時代のいじめに遭った体験を語られています。
辛いとき、将棋があったから人との繋がりが支えになったし、将棋があるから「何としてもあの世界に戻ろう」と思えた。
30年プロ棋士として活躍されてきた先崎先生だから、それは自分と切り離せないくらい大切なものだったんだろうなと思います。
場合によっては、長年連れ添ってきたものと違う、新たな道が開けることが回復の道になることもあります。
でも、今回は将棋があったことが、やっぱりすごく大きく働いたんですね。
時にはそれって大きな足枷になることもあるし、力になることもある。これは先崎先生の回復のケースで、一概には言えないのが難しいところです。ケースバイケース。
結び
改めて、わたしはうつ病について知っているようで、やっぱりまだよくわかっていない部分もあったなあと思いました。
うつ病といっても千差万別で、これは先崎学先生の個人的体験です。でも、やっぱり当事者の声というのはダイレクトに伝わってくるなあと思いました。
うつ病について誤解されている部分もまだまだたくさんあると思うので、ご家族や職場の同僚がうつ病になったとき、どんな世界が体験されているかのヒントになると思いました。
最後になりましたが、先崎先生がまた「3月のライオン」に戻ってきてくださって嬉しかったです。
いやいや、その前に将棋の世界に戻ってこられたことからですね。ほんとうにこころから「お帰りなさい」と、門外漢のわたしでも思います。ということは、将棋ファンの方々はもっと思うだろうと思います。
関連情報
▽なんとコミカライズもされたそうです。
▽先崎先生のコラムも読める3月のライオン
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