「増補改訂 アースダイバー」中沢新一

映画「天気の子」(ネタバレあり)がきっかけ

「天気の子」の終盤、穂高が立花さん(「君の名は。」の瀧くんの祖母)を訪ねるシーンで、雨がずっと続いて東京の街の一部が水没したことについて、立花さんが「東京のあの辺は昔は海だったけど、人間が埋め立てて変わったんだ」といったことを(セリフは、うろ覚えです)言います。

わたしは2回目にこのシーンを見たとき(「天気の子」は2回観に行きました)、「そうだ、アースダイバーだ!」と思い出しました。

 

新海監督もインタビュー記事で「アースダイバー」について触れています。新海監督は、直接「アースダイバー」から着想を得たのではなく、映画を作り終わってから読まれたそうなのですが。

 

もともと知り合いから勧められていて、読む本リストに入っていたのですが、他にも読みたい本があってのばしのばしになっていました。

やっと読む機会がめぐってきました。

関西版から読むはずが、東京版からのスタートです。というわけで、初読です。

 

 

アースダイバーとは

「アースダイバー」という耳慣れない言葉はなんぞや?

 

直訳すると『earth(地球、地面)を潜る人』という意味になるでしょうか。

 

いまの世界ではなく、もっと昔、旧石器時代まで遡り、当時の地形のあり方などから、現在の土地に至る歴史を紐解くようなことかと思われます。

現在の土地のあり方(例えば神社や寺、歓楽街なども)は、偶然にできた産物ではなくて、長い土地の歴史に根付いたものであること。

 

特に、洪積台地沖積低地の視点は大きく関わっていること。

つまり、もともと海の高台にあった場所と、海に沈んでいたところがのちに埋め立てられた場所があって、土地のでき方もそれぞれに意味があること。

 

いま当たり前みたいに近代化された土地で生きている現代で、学校で習ってきた歴史とは全く異なる視点で見つめていくと、ものすごく違った見え方ができていく。

 

いままでのわたしになかった視点で、「おお、これはすごい」と目から鱗でした。

 

東京の見え方が変わってきた。いや、東京だけでなくて、もっと大げさにいうと世界の見え方そのものです。

(個人的に、あまり地理的に馴染みがないので、詳しい方が読んだらもっともっと面白いと思います)

 

アースダイバーのもうひとつの意味

アースダイバーには「地球を潜る人」以外にも、神話レベルで地球を見るという意味がこめられています。

ちょっと長いけれど、「アースダイバーの神話」の部分を引用してみます。

 

最初のコンピューターが、一神教の世界でつくられたというのは、けっして偶然ではない。一神教の神様は、この宇宙をプログラマーのようにして創造した。(中略)

ところが私たちの世界(環太平洋圏)では、世界を創造した神様も動物も、みんな自分の手を汚し、体中ずぶぬれになって、ようやくこの世界をつくりあげたのだ。(P18~19から引用)

 

古事記では、イザナギとイザナミの世界をつくっていくところは、なかなかに泥くさいです。からだの一部から新たな神様が生まれたりね。

 

頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぽけな泥を材料にして、からだをつかって世界を創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅっとしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。(P19)

 

近代社会は、キリスト教圏の考え方になぞらえて大きく構成されています。

科学は、大きな発展をもたらしました。

それはとっても便利な世の中を作り出したけれど、いってしまうといまの自分たちはそれの恩恵に預かっている立場なのだけれど、一方で弊害も生まれます。

 

世の中はどんどん早く早く、効率重視の流れになっているところがある。

でも人間って、そんなに効率よく生きられるばっかりではない。

 

そのなかで、そもそもの神話レベルで見ていったとき、泥のなかから世界ができた、一見スマートではないものを見つめていくことは、古くて新しい示唆を生むのではないか。

本のなかでは、そういう視点からも描かれていて、それは決してスマートではないんだけれど、妙に人間くさいところに触れていて、読んでいて不思議と悪い心地がしないのです。

 

もう少しだけ、取り上げてみます。

 

例えば「死」について

アースダイバー地図を片手に、東京の散歩を続けていると、東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係をもっているということが、はっきり見えてくる。

(中略)

しかし、これは死にかかわることを嫌って、自分たちのそばから遠ざけておこうとする近代人だから、そんな考え方をするのであって、かつては死霊のつどう空間は、神々しくも畏れるべき場所として、特別あつかいされていたのである。そこは神聖なスポットだからこそ、重要なスポットだと考えられていた。(P68『陽の当たる坂道』)

 

例えば、葬儀場や墓地だけが死のテーマと関係するわけではないのです。

普段当たり前みたいに見ている景色が、自分が想像もしていなかったテーマをはらんでいることがある。

 

そしてそれは、特別なものではあるけれど、遠ざけられるものではないのですね。

 

自分のこれまでの物事の捉え方に変化をもたらす

たぶんわたしは、長いこと物事のスマートな面ばかりを見つめすぎていたような気がします。

自分のなかで、そういうものへの憧憬があるというか。

 

でも、例えばユング心理学に触れると、物事には両面があること。例えば人には「影」と呼ばれるものがあります。

つまり、光ばかりじゃなくて、人のこころには(もっというと世界にも)光もあって闇もあって、それが人間らしいことなんだということを知りました。

だから、例えば一見ネガティヴにしか見えない事柄にも、反証的にポジティヴな側面があったりする。

 

ドロドロと汚く見えるなかに、意外と大事なものが埋まっていたりする。それこそ泥のなかから世界が生まれたように。

 

そういう考え方って、とっても良いなと思いました。

なぜなら、そういう世界は、完璧(スマート)を目指さなくて良いからです。

 

逆にいうと、いかに自分がスマートな自分を理想として空回りしてもがいていたかがわかるのですが(苦笑)、じわじわと、そういう古くて新しい考え方がわたしのなかに入ってきて、それはじわじわとわたしのなかで化学変化を起こしています。

 

それがなにかは、まだよくわからないんだけど。

 

「天気の子」と繋げて

「天気の子」と直接繋がりがあるわけではないけれど、アースダイバーを通して見える世界って、「天気の子」ともリンクしているなと思います。

あれは一見スマートな、実に近代的な世界を描いているようで、実はけっこう泥くさいものを扱っていると思います。

 

しかも、意外と神社とか、古式ゆかしいものも散りばめられている。

 

新しいようで、古いものが混在している。

実は、それも「天気の子」の魅力ではないかと改めて思いました。(「君の名は。」にも通じます)

 

結び

というわけで、わたしももっとアースをダイブするべく、次は関西編を読んでみようと思います!

 

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