村上春樹さん翻訳の、チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウシリーズ3作目になります。
チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズは、読むのも3作目。
フィリップ・マーロウシリーズは、「ロング・グッドバイ」と「さよなら、愛しい人」を読んだことがあります。
しかし、随分と昔のことだったので(昔のブログをたどったら、6年前だった)、話の筋とかは全然思い出せない。
マーロウ氏が渋くてシニカルなハードボイルドな人で、わたしの好みではないんだけれど「なんか格好いいな」と思った記憶と、読後感は悪くなかった感触はなんとなく残っている。
もちろんミステリ仕立ての話の筋も面白いんだけれど、登場人物への不思議な哀愁というか、親しみというか、そういう余韻みたいなものが好きでした。
今回、ものすごく久しぶりに手に取ったんだけど、それは先日読んだ村上春樹さんと柴田元幸さんの対談「本当の翻訳の話をしよう」でチャンドラーの存在を思い出したからです。
▽そのときの感想
「そうだ、久しぶりにチャンドラーを読もう」と思ったんですね。
こういうのはやっぱり時期というのがめぐってくるんだろうなあ。
高い窓
わたしは普段は推理小説はまったく読まない人なので、その方面の見る目はまったくないんだけど、マーロウ氏と一緒に謎を探索するのは、なんだか普段の小説を読んでいるときにはないワクワク感があります。
手持ちのカードのなかから、限られた情報から推理していく。
少しずつ点と点が線になって繋がっていく感覚。
そこにマーロウ氏という主人公のスパイスが加わるわけです。
シャーロック・ホームズよろしく、こういう私立探偵にはきっとみんなそれぞれに流儀があるんだろうけど、そういうのもわたしにはよくわからないんだけど、人に媚びず、自分の仕事の領分を守りつつ、でも自分のなかで大事な核な部分は、どこか人のこころのひだに触れる部分を持ち合わせているマーロウ氏は、やっぱり魅力的なキャラクターだなあと思いました。
この物語は、どちらかというと派手な場面のない、淡々とした展開の作品らしいのだけれど、エレベーターで働いているミスター・グランディーとのやりとりとか(密かに粋な老人です)、ブリーズ刑事とのやりとりが終盤に効いてくるところとか、そういうさりげないところに物語の面白みが隠されているように思います。
もちろんブラッシャー・ダブルーンにまつわるトリックや、「高い窓」という題名と物語の関連の秀逸さ(やっぱりこの作品は「The Highest Window」という題名がしっくりと合っている気がする)も語る上では欠かせません。
ミス・マール・デイヴィスに向けた、マーロウ氏の優しさが、物語を包み込む良い読後感を産んでくれて、全然筋を覚えていない前2冊と、「そうそう、こんな感じだった」と既視感を思い出すのです。
そして、よくわからないんだけど、生粋のファンの人には怒られそうですが、「チャンドラーのマーロウシリーズは面白いな」とまたにわかファンがひとりできあがるのです。
なんというか、こういう既視感を覚えて感覚が繋がって、「うんうん、好きだなあ」と思えるのは、チャンドラーのこのシリーズでしかいまのところなくって、わたしのなかではちょっと独特な立ち位置です。
結び
今回、旅のお供に持って行ったのですが、また別の作品も読んでみようと思います。
最後にひとこと。
マーロウ氏は、格好いい。
関連情報
アイキャッチの写真はハードカバーなんだけど、こちらのほうで。
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