海堂尊先生の本を1冊目から順番に読んでいます。
先に「コロナ狂想録」を読んじゃったので、彦根さんなる人物のなんかやり手のような雰囲気は存じ上げていましたが、「ひかりの剣」では田口さんたちの後輩としてサラッと登場して、そのサラッと感の前振りの後のこれね!
白鳥さんすら、彦根さんを前にするとまだ常識のあるまともな人に見えてきますよ(←……
海堂尊作品の読み方
今回改めて思いましたが(きっとわたしだけじゃなくて既に多くの読者さんが感じ取ったことだろうけど)、海堂先生の作品は、ひとつなぎの連環のようなものです。
それぞれに繊細な蜘蛛の巣のように繋がりが連綿と続いています。
だから本作の内容を知るためには、せめて「チーム・バチスタの栄光」と「死因不明社会」は読んでおいたほうがいいし、細部を理解するためには、「螺鈿迷宮」も「ジーン・ワルツ」も、「ナイチンゲールの沈黙」と「ジェネラル・ルージュの凱旋」もやっぱり読んでおくに越したことはない。
ちなみに、この「イノセント・ゲリラの祝祭」も、「極北クレイマー」や別の作品へ続いているのだろうなと思います(まだ読んでいないので、どこへ続いているかははっきりわからないけれど)
これ、好きな人はとことんどっぷりハマる構造になっているなあ。
海堂ワールドから抜け出せなくなりますね。(既に片足突っ込みそうな人がここにもひとり)
イノセント・ゲリラ
「もしもわれわれ医師につける形容詞ならば、“イノセント“なんてどうかな。遵法精神から導き出した結論が国家を破壊するというのであれば、その国家のかたちこそが違法なのでしょうし、それに戦いを挑む医師たちがもしも現れるのなら、彼らにはまさしく“イノセント・ゲリラ“という呼び名こそがふさわしい」
(第39章 イノセント・ゲリラの咆哮)
わたしはお医者さんでもないし、その方面は素人の意見です。
海堂先生の胸の内を知るわけでもありません。だから、これはあくまで個人の推測の範囲で。
小説という媒体を使って、医師である海堂先生が伝えたかったことを真正面から直球でドカン! とぶつけたのが本作「イノセント・ゲリラの祝祭」だと感じました。
物語性よりも、メッセージ性のほうが強く強く表れている。
これは、作家としては愚策かもしれません。でも、海堂先生は作家である前に医師です。
医療に無知なわたしでも、Ai(オートプシー・イメージング。本作ではエーアイと称されるようになりました)の有効性はわかる。「死因不明社会」で詳細に解説されたことを、小説でさらに噛み砕いてわかりやすく説明している。
背景にある、複雑で入り組んだ大人の事情も。(実際は、こんなにわかりやすくないのだろうとも思う)
彦根先生の物言いはけっこう過激でやっていることも派手ですが(そこは物語よろしく)、彦根先生は単に体現されているだけなのでしょうね。
彦根先生自身も仰っています。
「僕は空蝉。その存在は虚数。自分の意図を純化し、最後に意志だけの存在になった。みんなは僕のことを、『ひねくれ彦根』とか呼ぶけど、それは大いなる虚妄です。僕は周囲の要請に、可能な限り対応していった結果、このスタイルになった。僕がこうした状態にあるのは、周囲の望みを最大限に許容したもの。だから周りは僕を攻撃できない。なぜなら僕はみんなの願いであり、希望そのものなんですから」
(第14章 ひねくれ彦根)
桜宮サーガという舞台を使って、伝えたいメッセージを訴えかける。
彦根さんのほうが、よほど海堂先生のマリオネットという気もします。
物語が社会を動かす
そういうかたちで、多くの人の目に映り、それが世論になり、社会を変える力になる。
声を上げなければ、まずそこに問題があることにも気づかれない。
「最初からなかったこと」にされる。
これは、Aiや現代医療の問題だけに限らず、現代のありとあらゆるところで起こっていることでもあります。
声を上げることが許されない社会で起こった悲劇も、これまでも現在もあります。
海堂先生の発信力に比べたら、わたしの声は小さいけれど、「それはおかしい」と勇気を持って声を上げることの大切さについて考えさせられました。
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