マルクス・ガブリエルとの出会い
ブログで取り上げるのは初めてですね。
マルクス・ガブリエルさんは、ドイツの哲学者。
『新しい実在論』で世界的に注目されています。
わたしがガブリエル氏を知ったのは、YouTubeのインタビュー動画でした。
ガブリエル氏の語る「倫理資本主義」という考え方に目から鱗になりました。
その後、「なぜ世界は存在しないのか」を読もうとして途中で挫折して(テツガクハヤッパリムズカシイ……)
もう少しわかりやすいところから、と手にとったのが本書でした。
本書の構成
新書でzoomによるインタビューを編集した内容になっています。
プロローグ
第1章 私にとって「他者」とは何か
1 他者と生きるとはどういうことか
2 ソーシャルメディアとアイデンティティ
3 他者と分断
4 近代の発展と他者の在り方
5 我々は他者とどう向き合うべきかー実践論ー
第2章 我々はいかに「他者」とわかりあうべきか
1 お互いがわかりあえる社会をどう作るか
2 対話と民主主義、政治
3 科学、テクノロジーの発展と他者性
第3章 家族とは何か、愛とは何か
1 家族と他者、その関係性について
2 自由、愛、死とは何か
第4章 自己の感情とどう向き合うか
1 他者が生み出す「幸せ」の形
2 負の感情から抜け出す処方箋
第5章 宗教や倫理と他者の関係
1 宗教は「救いと対立」のいずれをもたらすか
2 利他主義、格率ーーなぜこれらは間違いなのか
3 人間が人間たりえる条件とはーー他者論の文脈から
エピローグ
ガブリエルさんの本「なぜ世界は存在しないのか」に挫折したわたしでも、読みやすくすいすいと読むことができました。
各章の終わりに哲学用語などの簡単な説明もあるので、普段哲学に馴染みのない人にも親切な構成になっています。
このインタビューが行われたのは2021年8月で、東京オリンピックの開催後という時期です。
刊行されたのが2022年3月ですが、2022年5月現在に読んでもまったく古びない内容でした。
むしろ今の世界の状況にも当てはまる、考えさせられる内容だと思います。
全体のざっくりとした感想
ガブリエル氏の語り口は、わかりやすくそれでいて示唆に富んでいます。
「そうか、そんな考え方があったんだ」と初めての衝撃に劣らず面白く読めました。
興味深かったのは、パンデミックについての氏の考え方。
特に東京オリンピックについての言及。
ワクチンやロックダウンについても触れられていました。
「そうか。他国の人から見たら日本はこんな風に見えているのか」「そういう考え方をするんだ」というのが明快に語られていて、「ふむふむ」と思いました。
ガブリエル氏のパンデミックについての意見が正しいかどうかが重要なのではなくて、自分と違う立場の人が異なる視点から意見を言っているのを受け取る感覚。
本書で繰り返し語られている「対話」。
それこそ表題にもなっている『わかりあえない他者と生きる」ために必要な、自分と違う他者の意見を、本書を通じて対話しているような心地になりました。
最近暗いニュースばかりが目に入って、特にSNSを見ていると「日本という国はもう駄目だなあ」と落ち込むばかりだったのですが、それもある意味では限られた情報に振り回されている姿の一面かもしれません。
昨今の現状に「対話のちから」について、すっかり希望を持てなくなってしまっていましたが、それでもやはり「対話のちから」は諦めてはいけないものだと思いました。
ガブリエル氏の意見に100%賛成というわけではありません(おお、よくわかってないのにえらそうな発言)
でも、誰かの意見を盲目的に信じることこそ危険だと思います。
それよりも本書をきっかけに色々考えることが増えて、それをいろんな人同士で話し合えることができるといいなあと思いました。
以下、気になったところをいくつか(3つくらい)ピックアップしてみます。
他者がいて”私”が存在する
『私たちがまず個人として存在し、人間が好きだから人間関係に入るのではありません。人間の気質という最も根源的なレベルで、他者がいなければ私たちは存在することさえできないのです』
(P28 第1章 1 他者と生きるとはどういうことか)
コロナで人との繋がりが分断されて、人と会う機会がめっきり減りました。
わたしは昨年の後半から、少しずつ人と会うことを再開しはじめたけれど、人と会うことのインパクトの大きさを前よりもいっそう実感しました。
他者と出会うことは自分が傷つくかもしれない、怖いことでもあります。(同時に自分が誰かを傷つける恐れもある)
でも、一方で傷つきを癒すことも他者を通して行われます。(同時に誰かにとって自分は良い影響を及ぼすかもしれない)
どちらも他者がいてはじめて成立することです。
わたしは人と会うといろんなことを考えてしまってヘトヘトに疲れてしまって、そのあとは一人になる時間が必要だけれど
それでも人と会うことは、一人では得られないいろんなものをもたらしてくれるなと感じます。
それはポジティヴなこともネガティヴなことも両方あるけれど、言い換えると、ネガだけでもないのです。
他者を通して、わたしは「わたし」にも出会う。
ガブリエルさんの言葉に、わたしもうんうんと頷きました。
対話のちからについて考える。
少し長い引用になります。
『話し合いについて述べるとき、民主主義について語らないわけにはいきません。私は民主主義とは「意見の相違による暴力沙汰を回避する」ためにあり、民主主義の役割は2つの利害当事者の妥協点を見出すことだと考えています(『世界の針が巻き戻るとき』)。つまり、私たちは常に自分の思い通りにいかない世界を受け入れなければなりません。
私はこれをラディカルな中道の政治とも呼んでいます。今では中道がラディカルな立場なのです。なぜならそのためには両極を俯瞰して、それぞれの間違いではなく正しさをみなければならないからです』(P82 第Ⅱ章 2 対話と民主主義、政治)
『最後に、対話においては「無知の知」という問題があります。しかしほとんどの人は自分が何も知らないことをわかっていません。
(中略)
相手の無知や不見識がわかったら、それにどう対処するかも体得しなければなりません。これは道徳の一部です。対話は愛と同様に、非常に複雑なのです。』(P189-190 第Ⅴ章 3 人間が人間たりえる条件とはーー他者論の文脈から)
誰が言ったか忘れたけど、「21世紀は対話の時代」という言葉があります。
過去の過ちから、世界は対話の方向へ少しずつシフトしてきているのだとわたしは信じていました。
でも、人はそんなに簡単に変われない。
そういう現実を、ここ最近は目の当たりにされたような感覚がして、絶望的な気持ちになりました。
対話のほうが、暴力という圧倒的な力よりもずっと高度な技術が必要です。
ガブリエル氏は「叡智」とも表現していました。
「無目的、非効率にこそ意味がある」
『二十四時間ずっと効率的ではいられません。非効率的に過ごすことが効率を上げるためにベストであるタイミングを心得ているほうが、効率性が上がります。(中略)怠けろと言っているのではありません。しかし何もしないほうがずっとスキルを要すると思います。何かをすべきでないタイミングがわかっていることは、たいていの人に欠けている大事なスキルです』
(P142 第Ⅲ章 2 自由、愛、死とは何か)
ガブリエルさんは、1日9時間眠るそうです。昼寝もされるそうです。
比べるなどおこがましいことですが、わたしは睡眠時間が落ちると途端にパフォーマンスが落ちます。てきめんに表れます。
最近、少しずつ忙しくなってきて「空白の時間を意識的につくること」の大切さをひしひしと感じています。
付け加えること、増やすことにエネルギーは向きがちだけれど
しないこと、減らすことのほうが実はずっとむずかしい。
特にスマホなどのテクノロジーが発展した昨今は、「ずっと何かをしている」ことが当たり前になりました。
(スマホを触っていたらついつい時間が過ぎることってありませんか? わたしはしょっちゅうあります……)
「効率的」という言葉が人間の大事な側面を蔑ろにしている気がしてあんまり好きじゃなかったんだけど、「非効率に過ごすことと、効率的に過ごすこと」を100か0かで考えていたからだったのだなあと気づきました。
例えば、ダラダラとしなくていい会議を長時間することはしなくていい非効率です。
家族や大切な人と過ごす時間は、したほうがいい非効率な時間です。
自分がもっとどんなことに効率性を求め、意識的に非効率の時間も過ごすか、考えないとなあと思いました。
(例えばブログを書く時間は効率的に集中して、お休みの日のそれ以外の時間は非効率的に過ごしたい)
結び
なんもよくわからないで読んだのですが、ガブリエルさんのインタビュー本(PHP新書)は本書で3冊目なのだそうです。
はじめの2冊も読んでみたいと思います。ワクワクするなあ。
関連情報
↑そのうちまたチャレンジしてみたい……