COVID-19(新型コロナウイルス)を通して考えたこと その2:緊急事態宣言(2020年4月編)

前回の記事が、緊急事態宣言が出される直前(4月7日)でした。

 

▽前回の記事

とりねこブログ 

いよいよ緊急事態宣言も出されようとしていて、日常生活もどんどんと物々しくなっています。 ブログの記事を更新するのも、どん…

 

気持ち的には3月末に書いていたつもりだったのですが、たぶん書くのに時間がかかったからですね。

緊急事態宣言が延長されるのもほぼ確定。5月も続くよ、この生活。

 

というわけで、コロナが落ち着くまで毎月の心境を文章にまとめておこうと思いました。

いつか時間が経ったときに、「そうそう、このときはこんな感じだったんだな」と読み返せるように。

自分の気持ちを整理するために。

 

※あくまで個人的な所感です。

※文中の「コロナ」は新型コロナウイルス(COVID-19)の略です。

※2023年5月、記事の一部を修正しました。

 

ネガティヴなこと

緊急事態宣言が出される前は、「ロックダウン(都市封鎖)が行われるわけではないし、買い物はふつうに行けるし、そこまで自分の日常は変化しないだろう」と考えていました。

 

いや甘かった。

4月上旬と同じように、仕事には行っているし、家で過ごす時間も過ごし方もほぼ変わっていないけれど、外的な変化はこんなにも自分の内面に影響を及ぼすんですね。

全国的に自粛ムードが高まっているためか、ピリピリ感に自分が過敏に反応しすぎるところがキツイ。

 

4月上旬に感じていた底が抜けるような絶望感はマシになったけど、日々の行動には過敏さが増しました。

今から思うと、まだ1ヶ月前のほうがのほほんとしていた。

緊急事態宣言の影響はこんなに大きかったんだと。

 

具体的には、以前よりも”人に会う”ことに過敏になるようになりました。

 

互いにマスクをしているし、必要最低限の人としか会わないようにしているけれど、換気や距離を取ることにこれまで以上に気を配るようになった。

先日職場でミーティングがあったとき(もともと定例で行われていたものが、長らく開催されず久しぶりにあった)、その環境にいることがすごくストレスフルになっていて気分が悪くなった自分に驚いた。

通勤中の電車で、横で咳をしている人がいると、気になってしまう自分と、「嫌だなあ」と思ってしまう自分への自己嫌悪で板挟みになった。

 

新型コロナの怖いところは、日常の”人と会う”、”触れ合う”ことを侵害されているところだとも思います。

インフルとかもそれはあるんだけど、全然違うレベルで起こっている。

 

そして、もともと不安が高くて敏感なHSP気質を持っている自分は、ものの見事に翻弄されてしまっているなあとも感じます。

あと自分はインドア派だしそんなに出歩くほうではなかったと自認していましたが、こういう状況になってみて、自分が思っていたよりは外にも出歩いていたんだなあと思いました。

 

例えばカフェに行ってひとりの時間を過ごすことは、家で同じように自分の部屋でひとりで過ごすのとは違った空間で、気持ちを切り替えたり整理するのに使っていたんですね。

今はそれも気軽にできなくなってしまったことで、そのことの貴重さに改めて気づきました。

 

たぶんこれはストレスだろうなあと思いますが、食べることに夢中。

前から気をつけないとなあと思ってはいましたが、間食の量が増えた気がします。

手づくりも増えたけど、おやつの量も増えました(爆)

 

ときどきコンビニスイーツやパンとかお菓子をいっぱい買って、むしゃむしゃと食べたい衝動に駆られます。(これ、昔病んでいたときに時々やっていたこと。幸いに現在は実行には至っていません)

 

ポジティヴなこと

物事には必ず両面があります。

コロナにもネガティヴな面があれば、ポジティヴな面もあるんだなあと日をかさねるごとに感じてきました。

 

日常の変化

おうち時間が増えたことで、料理やお菓子などを手づくりすることが増えたのはポジティヴなこと。

 

あと、個人的に冬に崩した体調が、日が暖かくなるにつれてちょっとずつ良くなってきたので、それも気持ち的に家でいろいろやってみることに後押ししてくれています。

 

コロナのもたらしたものを考えること

社会が急激に急ブレーキをかけられて、世の中のいろんな常識がいま変わろうかとしています。

コロナが落ち着いたころに、世の中はまったく同じように元どおりにはならないでしょう。

いくつかは元どおりになったとしても、いくつかはきっと何かしらの変容が起こる。

 

例えば在宅ワークは現実的にできるんだと証明されたし、ちょっと値段が高くても国産のものを増やそうという動きになるかもしれない。マスクは実際そういう動きになってきています。

 

物事が変化していくときって、緩やかな変化は時間がかかるけど少しずつで、まどろっこしくもある。でも緩やかだから受け容れやすい。気がついたら、という感じ。

急激な変化は、やっぱりこういう起爆剤になる存在が大きい。

 

どちらが良いのかはわからないけれど、長い時間をかけてもなかなか変わらなかったものが、これを機会に変わるかもしれないのは、怖くもあるけれどちょっとドキドキもします。

ある意味わたしたちは、いまそういうさなかにいるんだなと思うと、不思議な気持ちです。

でも、同時に。

 

変化は怖いものでもある。

良きにせよ悪しきにせよ、これまで続けてきたことは、ぬくぬくと気持ちを安定することには貢献していたのです。

改革には痛みが、変化にはざわざわとした気持ちが、良いものの裏合わせにつきものです。

 

わたし自身も、これを機会に見直すことを考え始めています。

マクロな視点でいえば社会が、ミクロな視点でいえば自分自身が。

 

コロナでどう変わるのか、変わらないのか。

ただただ翻弄されるだけではなくて、見定めていきたいです。

 

結び

ちょっと自分の気持ちを整理するために書いてみようと思ったのだけれど、書いてみると思った以上に整理されていないことがわかりました(汗

それも、整理するための一手順なのかな。

 

ここに書いたのは個人的な所感だし、これがわたしの考えている全てでもないです。

でも「ああそういう考え方もあるんだな」と思ってもらえると嬉しいです。

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

5月の末に、また。

 

関連情報

▽2020年4月から半年間のCOVID-19について考えたこと記録

その1:日常の変化(3月)

その2:緊急事態宣言(4月)この記事

その3:ステイホーム(5月)

その4:内と外のバランス(6月)

その5:with コロナ生活(7月)

その6:部分的にこもる(8月)

その7:本を通して考える(9月)

その8:ひとまず最終回(10月)

その9:3年間で変わったこと(2023年5月)

「雑記」関連の記事を読む

 

最新情報をチェックしよう!