COVID-19(新型コロナウイルス)を通して考えたこと その3:ステイホーム(2020年5月編)

緊急事態宣言が解除されて、少しずつ社会がまた動き出した5月末。

第2波かという地域もあるし、まだみんな手探りで日々を過ごしている気がします。

わたしも5月を振り返ってみようと思います。

 

※あくまで個人的な所感満載です。

※文中の「コロナ」は新型コロナウイルス(COVID-19)の略です。

※2023年5月、記事の一部を修正しました。

 

緊急事態宣言〜延長の5月:ステイホームしんどい

ゴールデンウィークは昨年と同様に、ステイホームだったのです。

(わたしは基本大型連休はステイホームなのです。人混みが苦手なので)

 

違うのは、世の中が連休で浮かれているかコロナで自粛生活をしているか

わたしの生活は大きく変わっていないはずなのに、外的状況が違うことの影響がこんなにも大きいなんて。

 

コロナの自粛生活で気づいたことが2つあります。

 

その1:自分は外の声を拾いすぎていること

外的な生活はそこまで大きく変わっていないけれど、日々のニュースに、外の声に、自分が大きく影響を受けていることに気づきました。

そんなにニュースから熱心に情報を入れるほうではなかったのに、以前よりニュース(テレビ、新聞、ネット)をよく見るようになった。

見たくないのに、見てしまう。

そして、それが自分のこころにとても影響を及ぼしていたようです。

 

村上春樹さんが、だいぶ前に新聞は取っていないと何かのエッセイで書かれていました。

騎士団長殺し』では主人公が朝のNHKニュースのラジオだけが世の中の動きを知る唯一の手段だった。

(主人公は携帯電話を手放し、テレビも新聞もないところで長らくこもった生活をしていました)

 

 

今思ったけど、たぶんわたしもそれくらいの情報量でちょうど良いのかもしれない。

 

その2:外へ出かけたい欲求が大きくなった

基本的にインドアであんまり外へ出るタイプではないのだけれど、このコロナの自粛生活で、むくむくと「出かけたい!」欲求が出てきました。

そして、そういう自分がいることにびっくりしました。

 

自分はずっと内向的な人間だと思っていたから。外に向かって気持ちが向くことが、とても意外だったのです。

 

ただこれにも補足があって。

1つは、もともとは超内向的だったのですが、ここ数年、自分の劣等機能(内向の人は外向を劣等に、外向の人はその逆を持っているものなのです)である外向性が活性化してきたというのでしょうか。その自覚はありました。

 

いろんな人と知り合って、自分にはない刺激をもらいたい。

いろんなもの(芸術や自然)と出会って、インスピレーションを得たい。

 

そういう外へ向けた希求がここ数年増えてきたので、それがコロナという内にこもる生活でさらに活性化しちゃった気がします。

 

あと「外出したい!」もまず行きたいのは神社とかで(鎮守の森でマイナスイオンを大量に浴びたい!)、人に会いたい、まして人と一緒にどこかへ出かけたい、は優先順位としては低いです。

ひとりで密にならないところで楽しむくらいは、これから少しずつやっても良いかなあやりたいなあと思いました。

 

友人と会ってゆっくりと食事やお茶をしながら会話を楽しむことも好きでしたが、これはしばらくおあずけです。

それは少し寂しいですね。

 

まとめ:こもれない自分にびっくりした

自分はこんなにもこもれない人だったんだとショックだったのですが(もっとこもれる人だと思っていた)、こうやって振り返ってみると、こもれない要因は外の声を拾いすぎることも影響していました。

こもろうと思うときは、外の声をできるだけシャットダウンしたほうが良さそうです。

 

つまり、わたしにとって篭るとは内なる自分と向き合うこと。

具体的には、スマホやテレビからの情報はもっと減らしたほうが良いなあと反省

 

ついついネットニュースやTwitterを覗いてしまう。

今日の我が地域の感染者数は何人だろう」と毎日チェックしてしまう。

 

6月からは、意識的に減らす努力をします。

 

5月まとめ

というわけで、5月はコロナ鬱でした。

全体的に心身のポテンシャルは冬の体調不良から回復してきているんだけど、5月は全体的にメンタル面が不調でした。

自分のなかに「もっとおうち時間を楽しまなくては」と変な気負いがあったからです。(こういうとき、変な真面目気質が追い討ちをかける)

 

特に出たのは食欲。ちょっと病的なくらいな食欲が湧きました。YouTubeの大食い動画をよく見るようになった(笑)

 

良い変化もあったよ。生活がゆっくりになった。

もともと自分はせっかちさんゆっくりさんが同居していて、たぶん本来はゆっくりペースが合っているんだけど、「~しないと!」という自分に厳しい自分がせっかちさんとしてよく出ていました。

 

だからこそ、「ゆっくりていねいに」生きること、日々の生活を過ごすことをコロナ前から希求していたとも言えます。

 

コロナで世の中全体が急ブレーキをかけてくれたことで、嫌が応にも自分の周りがストップしてくれて、「もっとゆっくり過ごせると良いなあ」が思いもかけないかたちで実現されました。

 

だからちょっとくらい待つことも、不便なことも、以前より許容できるようになった。

 

全体としてはゆっくりペースを望んでいて、そういう意味の「スローな暮らし」がコロナで「そうそう、こういうことだったんだ」と実感できました。

これは、今後も忘れずに保てていけると良いなと思います。

 

結び

終わってしまうと、5月は自分にとってそこまでひどくなかったのかもと思いますが、最中はとってもしんどかったです。

特に「自分はこうだと思っていたのに、そうじゃなかった」にがっかりすることが多かったです。

うーん、コロナがなかったら出会わなかった発見ですね。コロナの影響ってすごい。

 

まだまだこのコロナさんがどうなっていくのかわかりません。

引き続きコロナを通して考えたことをまとめていこうと思います。

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

 

おまけ:「村上ラジオ」聴きました。ひとときの癒しになりましたよ。

 

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▽2020年4月から半年間のCOVID-19について考えたこと記録

その1:日常の変化(3月)

その2:緊急事態宣言(4月)

その3:ステイホーム(5月)この記事

その4:内と外のバランス(6月)

その5:with コロナ生活(7月)

その6:部分的にこもる(8月)

その7:本を通して考える(9月)

その8:ひとまず最終回(10月)

その9:3年間で変わったこと(2023年5月)

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