読む順番としては逆なんですが、殺し屋シリーズ第1作目です。
先に第2作目の『マリアビートル』を読んじゃいました。
※『グラスホッパー』『マリアビートル』の内容に触れています。未読の方はご注意ください。
導入:「マリアビートル」からのおさらい
先に「マリアビートル」を読んじゃったので、事前情報で鈴木さんが「グラスホッパー」に登場するとは知っていたものの。
まさかこんなに本編の主要登場人物だったとは思わなんだ。
そしてそして。
鈴木さん、「マリアビートル」では傍観者的な立ち位置で一般人になっておられましたが、天道虫こと七尾くんはじめ、殺し屋さんたちと絡むのはなんかもう偶然とは思えない邂逅みたいな!(すみません、自分でも何を言っているのかよくわからない)
そしてそしてそして。
槿さん、グラスホッパーからのご登場だったのですね。
マリアビートルでは要所でご活躍されていましたが、グラスホッパーからの読者は鈴木さん同様感慨を含んで読まれていたかもしれない(勝手に想像)
わたしは、「グラスホッパー」を読んで槿さんのイメージが修正されました。
「グラスホッパー」には蝉さんや鯨さんなど、興味深いキャラクターが登場しますが
今回は「マリアビートル」ありきで、主に鈴木さんに焦点を当ててみたいと思います。
感想:鈴木さん
「マリアビートル」での鈴木さんを思い出しながら読んでいました。
といっても「マリアビートル」を読んでいるときは、鈴木さんの印象って薄くて(他のキャラが濃すぎるんだ)、最後の王子くんとのやりとりで一気に注目したんですけど。
マリアビートルでは・・・
半分抜け殻のようになっておられて、でもなんとか日々を生きておられて、その背景には奥さんを亡くされたことが影響していて、やっと奥さんのご実家へ久しぶりに行こうとされている。たくさんのおみやげを携えて。
その契機になった出来事が、グラスホッパーでは描かれています。
(読む順番が逆になってしまったので、わたしは遡るような感じになっていますが、ちゃんとグラスホッパーから読まれている方は、「あの鈴木さんのその後」をマリアビートルで知ることになっておられるんですよね。ややこしくてすみません)
想像以上に、奥さんを亡くした直後の若き日の鈴木さんはアクティヴに行動されていました。
それくらい、奥さんを失った痛みや怒り、哀しみは計り知れないものだったのでしょう。
だって明らかに裏社会とは縁がなさそうな人なのに、ここまで入り込んで寺原息子に復讐しようとしている。
その思惑はいろんな方面から阻害されますが、槿さん家族(偽装ですが)に「家族を持つ人を犠牲にできない」と嘘をついて守ろうとしたり、根は良い人なんだなあとつくづく思います。
それだけに、「マリアビートル」で王子くんに話した、「どうして人を殺してはいけないんですか」の鈴木さんの回答は、真に迫ったものだったのだろうと想像されます。
マリアビートルで鈴木さんは王子くんに「人を殺してはいけない理由」を、主観と客観の両面から説明しています。
鈴木さんがどういう思いでそれを話したのか、そこにはいろんなものが込められていたのだろうなと思う。(残念ながら、王子くんには届かなかったけど)
「いろんなことを消化するんです」亡き妻のことを一回消化するのだ、と鈴木はそう思い決めていた。「生きようと思うんですよ」
(P332 グラスホッパー)
さまざまな幸運から奇跡的に生き延びた鈴木さんは、その後は予備校講師として再び真っ当な人生を歩みはじめます。
それは、物語の閉じ方としては希望を残したものです。
でも。
「マリアビートル」の鈴木さんを見てしまうと。
それは夢と希望に満ちたキラキラした未来じゃなかったんだなあと思った。
だって、奥さんは戻ってはこない。
「亡き妻のことを消化して」「生きようと思う」それは素晴らしい。
でも、奥さんがいないことは、なかったことにはできない。
奥さんがいないことを受け入れて、この世界で生きていく。
それは、とても孤独で辛くて哀しいものを背負うことでもある。とても大変なことでもあります。
鈴木さんを見ていると、人の命を奪う業の深さみたいなものを、考えさせられました。
同時に、王子くんに語った言葉の重みも。
*
その後の鈴木さんが残念とかそういう意味ではなくて、深い喪失を抱えながら生きている鈴木さんに対して敬愛の気持ちとでもいうのでしょうか、不思議な感触が浮かんできました。
わたしは伊坂幸太郎さんの作品はまだ全然数を読めていないので、作品の傾向はよくわからないんだけど、鈴木さんみたいな人に出会えて良かったなあと思いました。
(復讐のために「令嬢」に身を置くことで、間接的に犯罪に関わったことはとりあえず横に置いておきましょう。なにごともまっさら綺麗にとはいかないものです)
おまけ:グラスホッパー×サピエンス全史(漫画版)
「どんなに緑色のバッタも黒くなる。バッタは翅が伸びて、遠くへ逃げられるが、人間はできない。ただ、凶暴になるだけだ」
「人はその、群集相ばっかりってことですか」
「都会は特に」(中略)「穏やかに生きていくほうがよほど難しい」
(P160 グラスホッパー)
槿さん。「マリアビートル」でもさりげなくタイトルの由来のくだりを解説されていて、要所のご活躍感がすごい(笑
こちらは、槿さんと鈴木さんのやりとりです。
この本を読んでいた同じ時期に、偶然ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」(漫画版)を読んでいました。
それを読んでいると、ホモ・サピエンス(現在の人類)がこうやって地球で繁栄していることの不可思議さを感じさせられました。
ホモ・サピエンス以外にもいろんな種が(例えばネアンデルタール人とか)いたのに、最終的に生き残ったのはサピエンスだけだったのです。
ちょっとこのテーマは、わたしには壮大すぎるのでまだ扱うには尚早ですが、こうやって人が大量に集まって生きていることそのものが、実は歪なのかもしれない。
過去の世界大戦でたくさんの人が亡くなっても、いまなお争いがなくならないように、ある種の凶暴さをサピエンスはいまだに克服できていない。
*
「マリアビートル」で鈴木さんが王子くんに話した客観的な「人を殺してはいけない理由」。
「そういう決まりにしないと、社会が安心して成り立たなくなる」(超要約)
これは実はものすごく的を得ているのかもしれません。
常識と思っていることは、実はとっても脆くて崩れやすい。
それは一種の信仰のように、人々が信じることで当たり前として扱われている。
例えば、寺原(父)が裏で活躍することで助かっている政治家なり有力者もいるのです。
本来は法のもとではすべてが平等なはずなのに、寺原親子のように無法地帯が許される人がいる。
槿さんは、もちろん依頼されて押し屋業をやっていて、なんでもかんでもというわけではないだろうけど
この人はこの人なりの信念みたいなものがあるんだろうなと思いました。
*
これはわたしの希望的推測こじつけですが
鈴木さんは凶暴にならずに穏やかに生きるほうを選ばれたのかなとか。
ときに凶暴にならずに穏やかに生きるために、群れから飛び出すことも必要なのかもしれません。
とかとか、変なこじつけ的まとめをしたところで終わろうと思います。
ここまでお読みくださいましてありがとうございました。
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