たいてい小説を読む時は、それがなんのお話かはわからないまま読み進めます。
わたしの場合、あらすじを見て選ぶよりも作家さんの名前で適当に選びます。
(ときどき知らない作家さんの本を選ぶときも、特にあらすじを確認しません)
今回も特にあらすじは確認していなかったんだけれど、題名を目にしたときに「オースティンの『自負と偏見』みたいな題名だな」とちらりと思いました。
本作品を読む前に読んでおきたい2作品
わたしが読んだのは(持っているのは)上の中野好夫さん訳なのですが、Amazonで調べたら新潮文庫版は新訳が出ていました。
新訳は小山太一さんです。
ジェイン・オースティンは18〜19世紀を代表するイギリスの女流作家です。
大学生のころ、オースティンにめちゃくちゃハマって、主要6作品は全部読破しちゃいました。
今回の「傲慢と善良」を読んでいたら、あらまあ。オースティンの名前が出てきたではありませんか。
なんというか、辻村さんらしいオマージュだなあと思いました。
個人的に、今回の「傲慢と善良」はオースティンの「自負と偏見」(「高慢(プライド)と偏見」原題は「Pride and Prejudice」)を知っておくと面白みが増します。
(※オースティンの作品は訳も色々あるのですが、ここでは新潮文庫の「自負と偏見」で統一しておきます)
あと、最近の「青空と逃げる」も、知っておくと繋がりに顔がほころびます。
辻村さんはよく他作品の登場人物を絡ませるので、もしかしたら他にもいたのかもしれないけれど、わたしが気づいたのはこちらでした。
というわけで、今回はこの2作品との絡みも交えながら感想を書いていきたいと思います。
※以下、ネタバレを含みますので、ご注意ください。
オースティンの「自負と偏見」も婚活の話です。
「傲慢と善良」は現代らしい婚活の話だけれど、オースティンの「自負と偏見」も18〜19世紀イギリスの中流貴族の婚活のお話です。
時代もお国柄も全然違うのだけれど、婚活の大変さはどこも似たようなもんですね……
わたしの知り合いでオースティン好きな方が、「オースティンは気の良い他意のないおしゃべりなおばちゃんを描くのが上手い」と言っていました。
「自負と偏見」でも、娘の婚活にヤキモキするのは一家のお母さんです。このお母さんが悪い人ではないんだけれど、品がない(笑)。
娘が5人もいるので、嫁がせるためにあれやこれやとがんばって、結果的にダーシーから「こんな家族のいる人とは結婚しないほうがいい」と思われるような人です。
当時のイギリスでは、女性には財産を受け継ぐ権利がなく、結婚は死活問題でした。
真美の母親も、ちょっとこのリジー(ヒロイン)の母親に似ています。
基本的に悪意があるわけではないんだけれど、視点を変えると「それってどうなの」と思わせるところがある人。でも悪意がないから、ある意味善良な人。(この場合の善良は、ちょっと皮肉めいたものがあるな)
なんか、全然舞台は違うのだけれど、婚活が死活問題になりうるのは、似ているのかもしれません。
あと、「自負と偏見」も一見するとプライドが高いのは相手のほうだ! と思っていたけれど、実はそう言って偏見している当人もけっこうプライドが高い(つまりどっちもどっち)で、実は相手のことをお互いによく見ていなかったというのも、今回の作品のオマージュだなあと思いました。
一見すると傲慢なのは自分で、相手が善良すぎると思っていた架と
善良で自分は悪くないと思っていたけれど、実はけっこう傲慢な真実と。
お互いに相手のことをちゃんと知らなかった。見ようとはしていなかった。
距離が離れることで、相手のことを思い測り自分のことを省みる過程を経ての、再会。
起こした事件はどうなのという賛否両論ありそうですが、このふたりこのままくっついていたらきっとうまくいかなかっただろうから、この過程は良かったんだろうなあと思いました。
他にも架の女友達の浅はかな進言は、ビングリーとジョージアナ(ダーシーの妹)をくっつけたかったビングリーの姉妹の勝手なはからいを彷彿とさせたりしますが、そういうところを突きすぎると「何でもかんでも結びつけすぎだ」と怒られそうなので割愛します。
「青空と逃げる」との邂逅
後半にまさか真実が震災後の東北へボランティアへ行くとは思わなかった。
そういう行動力があるのもびっくりだし「ええ、そっち行くんだ」というのも。
というわけで、後半は「青空と逃げる」の力(ちから)と早苗さん、写真館の人々なども登場します。
先日全く関係のないところで、どなたかのツイートで「まだ自分たちは東日本大震災のショックから立ち直っていないんだ」というのを読みました。
ほんとうに深く深く傷ついた体験は、見かけ上は「もうそろそろ大丈夫かな」となっても、癒していくのにはとてつもなく時間がかかるものです。
「青空と逃げる」で登場した、震災復興のためのボランティアが、ここでも登場してきたのは、そういうひとつのかたちの表れなのかなあと思いました。
傲慢と善良だったのは誰なのか。
個人的には、ベストオブ善良賞は架で、ベストオブ傲慢賞は真実なんじゃないかと思うんですが(笑)
そういう単純なものではなくて、この物語の出てくる人(だけではないけれど)それぞれに、傲慢さと善良さはみなさん持ち合わせているのではないかと。
例えば真実のお姉さんの、希実さん。
真実より自立心が強くて、自分で進学先も仕事も結婚も子どもも、全部ちゃんと掴みとってきた人で、それでいて真実にとっては母親よりもずっと味方でいてくれた人です。
架も、真実の母親よりは希実のほうに信頼を置いています。
妹を馬鹿にするんではなくて、ちゃんと妹の幸せを願ってもいるこのお姉さんは、物語のなかでは比較的善良な位置にいる人です。
でも見方をちょっと変えると。
真実のいないところで、当人について母親とあれやこれやと話をしていたり
面倒な役(親の干渉)、は、真実にある意味全部押し付けていたり
心配しつつ、でも真実の出身学部さえ覚えていない(そんなに興味がない)。
実は妹を下に見ているところがある傲慢な人でもあります。
そういうところはいたるところにあって、架の女友達だって傲慢な塊のようですが、別に善良さがないわけではない。
架が真実の詐欺みたいな手に騙されるのに黙っていられなかったのは、大事な友人だからでしょう。
そういうところを割と鋭く描いているところは、辻村さんらしいなと思います。
つまり「どっちもどっち」ではありますよね。
結び
わたしは辻村さんの作品によく登場する「良い子ちゃんポジション」にシンパシーを覚えるので、真実のことはなんというか「うんうん」と頷くところがありました。
でも、人によっては真実のキャラクターは吐き気がするほど耐えがたいかもしれません。
そういうところまで描くのが辻村さんの面白みでもあるなあと思います。
関連情報
▽「青空と逃げる」の感想はこちら
[itemlink post_id="12916"](アイキャッチの画像は単行本版です)*今回は辻村深月さんの「青空と逃げる」です。この本はタイトルの通り、”逃げる”ことがひとつの大きなテーマになっています。[…]
▽「自負と偏見」(中野さんの訳は絶版っぽいのでこちらで)
▽映画もあります。「プライドと偏見」
キーラ・ナイトレイ演じるリジーが最高に素敵。わたしにしては超めずらしく、DVDもサントラも持っています。
サントラはピアノがものすごく良いのです。(ついでに宣伝)
なんか、「傲慢と善良」に関係ないものの紹介が多くなってしまった……
ついでなので、久しぶりにオースティンの「自負と偏見」も読み返してみようかなあ。
※2020年9月追記 「自負と偏見」考察は後日こちらに。
[itemlink post_id="3767"] 前から名前は聞いたことがあったのですが、あまりよく知らなかったヴァージニア・ウルフ。でもなんとなく気になってはいたようです。頭の隅っこに残っていた。[…]