伊坂幸太郎さんの「シーソーモンスター」を読んで『螺旋プロジェクト』(第1弾)について知り、ではと読んだのが本書です。
▷▷ 伊坂幸太郎さんの「シーソーモンスター」の感想はこちら。
螺旋プロジェクト自体は、読む順番は決まっていないそうなのですが、とりあえず時代順に読んでいくことにしました。
こちらは原始時代の物語。
※物語のネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。
螺旋プロジェクト(第1弾)
「共通ルールを決めて、
原始から未来までの歴史物語を
みんなでいっせいに書きませんか?」
伊坂幸太郎の呼びかけで始まった8作家=朝井リョウ、天野純希、伊坂幸太郎、乾ルカ、大森兄弟、澤田瞳子、薬丸岳、吉田篤弘による競作企画です。
ルール1:「海族」vs.「山族」の対立を描く
ルール2:共通のキャラクターを登場させる
ルール3:共通シーンや象徴モチーフを出す
《螺旋プロジェクト作品一覧》
原始:『ウナノハテノガタ』大森兄弟 イソベリvs.ヤマノベ
古代:『月人壮士』澤田瞳子 藤原氏vs.天皇家
中世・近世:『もののふの国』天野純希 織田信長vs.明智光秀
明治:『蒼色の大地』薬丸岳 海賊vs.海軍
昭和前期:『コイコワレ』乾ルカ 都会っ子vs.山っ子
昭和後期:『シーソーモンスター』伊坂幸太郎 嫁vs.姑
平成:『死にがいを求めて生きているの』朝井リョウ 「生きてるだけ」vs.生産性
近未来:『スピンモンスター』伊坂幸太郎 配達人vs.国家
未来:『天使も怪物も眠る夜』吉田篤弘 眠り姫vs.睡眠薬開発者
※青字が海族、緑字が山族
※伊坂幸太郎さんの「スピンモンスター」は「シーソーモンスター」に収録されています。
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ちなみに2022年、螺旋プロジェクト第2弾が始動することが発表されました。
「ウナノハテノガタ」簡単なあらすじ
海のそばに住むイソベリ(海族)の人たちは平和に暮らしていました。
ある日地面が大きく揺れて、分断されていたオオクチ壁の向こうから、見たことのない毛むくじゃらのヤマノベ(山族)がやってきました。
ヤマノベのマダラコは、イソベリの人たちが知らないことを色々教えてくれます。
出会ってはいけない者同士(海族と山族)が出会ったとき、平和なイソベリの人々にも抗うことのできない大きなうねりがやってきます。
感想
原始時代が舞台の物語ってはじめて読んだ。
いろいろショッキングです。これはすごい、すごい。
現代のわたしたちと全然異なる人たちを描こうとしているのだから、まず現在の常識を取っ払うところからはじめないといけません。
言葉の使い方も現在の言葉ではない(と思われる)ので、それはまるで外国の書物や古文書を読んでいるかのような感覚でした。
だから、まず固有名詞からわからない。(カタカナが多いと、かえって読みにくいんだよう)
物語の世界に馴染んでいくのにも時間がかかる。
でも終わる頃には、なんだか目が離せなくなりました。
螺旋プロジェクトの下地をもとに、でも独立した物語としても楽しめます。
もしかしたらわたしたちの祖先は、こうやって未知のものに出会ってその時々で戸惑いながらもそのインパクトから発展していったのかなとか、いろんな想像が膨らみました。
いくつか物語の仕掛けをわたしなりに解明できた範囲で解説してみます。
死が存在しないイソベリの世界観
イソベリ(海族)の人たちには、死が存在しません。
ウナ(海)のそばで暮らす彼らは、弱ったり死期が近くなると、ハイタイステルベ(この物語では、父カリガイ、その息子オトガイと、代々受け継がれているようです)が、サヤ舟(おそらく短距離移動用の舟。長距離航海には耐えられない強度)に乗せて、島へ連れていきます。
島は、彼らにとっては楽園の島。
そこでは、イソベリ魚に変身します(転生ではなく変身、変態? ヒトからイソベリ魚という魚に変わるようです。感覚としては転生に近いのかな)。
そこでは痛みも苦しみもなく、先に渡ったイソベリ魚たちと、ずっと楽しく暮らすことができるのです。
ちなみに島のことは、ダンマリ(「言うな」の禁)。
島についてあれやこれやと知りたがるのはシリタガリ(知りたがり)として、非難の的になります。
何も知らないイソベリの人たちは、身体が弱ってくると「早く島に行きたいなあ」と思います。
弱っている人も、島に行けばイソベリ魚として幸せに暮らせると思うと、彼らの心は痛みません。
島に行けば、先に渡ったイソベリ魚(彼らのかつての家族、知り合い)に会える。
もう苦しまなくていい。
自分もいつか島へ渡ってイソベリ魚として幸せに暮らせる。
イソベリ魚になれば人間と違って魚になるから、まあ今とは違うけれども、イソベリ魚は幸せの象徴みたいに扱われているので、第二の人生それも悪くない感じ。
だから、物語の冒頭でオトの母親ザイガイが、瀕死の重傷を負ったとき(頭割れてる…)も、イソベリの人たちは動じません。
「島に行けばイソベリ魚になれるから大丈夫だよ」
むしろ「ザイガイは(島に行けるから)いいなあ」と羨ましがられる始末。
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イソベリのオトガイは、ハイタイステルベという特別な役目を引き継ぐために、父親のカリガイと共に島へ行き、イソベリの隠された真実を知ります。
島はイソベリ魚の楽園じゃなかったのです。
簡単に言うと、姥捨山に近い。
死期が近くなった人たちが、そのまま放置される。
彼らはゆっくりとただ死に向かっていく。
それは、イソベリの村長ですら知らない真実。
ハイタイステルベ(島への運搬人)だけが知っている真実。
だから、代々のハイタイステルベは、その重責から、ウェレカセリ(この世界での中立の立場の人)のもとで黒い呻きを吐き出し、背中をさすってもらう。
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彼らは死が存在しないことになっている。
自分や自分の大切な人が弱ったり傷ついたりしても、その先にあるのは死ではなく第二の人生、みんな痛くもなく苦しくもなく、仲良く楽しく暮らせる。
それは、なんて素敵な理想郷なのだろう。
だから、彼らは死を知らないから、自らの身体を顧みない。
それは、後半に大きな悲劇を生みます。
そして、何事も光があれば影があるように、その闇はハイタイステルベが背負います。
みんな知らないのに、自分だけが知っていることほど辛く苦しいこともありません。
ハイタイステルベはそうやって、イソベリの人たちをひそかに守り続けてきた。誰にも知られることなく。
イソベリの歴史
ウェレカセリが言った言葉。
「イソベリの掟を作ったのはイソベリだよっ。ウナの向こうで、イクサがあってっ」
「イクサ?」
「コロシアイだよっ、コロシアイッ」
「コロシアイ?」
(四章 ウェレカセリ)
(戦いのないイソベリで生まれ育ったオトガイには「戦(イクサ)」や「殺し合い(コロシアイ)」という言葉がわかりません)
なんと、イソベリの掟は彼らが自分たちでつくったのでした。
もうイクサ(戦)をしなくていいように、彼らは「死」をなかったことにした。
幸いにして、イソベリの人たちの住む集落は少人数で食糧にも恵まれている。
外敵もおらず、食糧にも困らない。ある意味では理想的なシステムだった。
そのなかで、やってきたヤマノベ(山の一族)のマダラコ。
大きな地面の揺れ(地震)が、いろんな衝撃を運んできた。
ヤマノベはヤマノベで、イソベリと全然違う価値観で生きている。
マダラコは、自分と自分のお腹の子を守るために、イソベリの人たちを巻き込んでいきます。
魚を獲ることしか知らなかったイソベリが、人を攻撃する武器を知る。
結果的に、イクサ(戦)のようなものが起こって、コロシアイ(殺し合い)が起きてしまう。
イソベリの平和で守られた秩序が壊れる。真実が明るみになる。
この螺旋プロジェクトにある、「海の一族」と「山の一族」の邂逅。
彼らはどうにもこうにも反発し合う運命にあるようで、どこかで必ず出会ってしまう。
そして、出会ったことは、何かしらの衝撃と何かを生み出す。
その「何か」は、必ずしも良いものとは限らないのだけれど、でも間違いなく何かの変化の一端になるようです。
ウナノハテノガタ
物語の最後に、ウナノハテノガタを目指す彼ら。
それは、かつての「島」でもなく、カリガイの夢見た、どこにもないユートピアでもなく
でも、きっとどこかにあるであろう「新天地」なのだろうと思います。
この出会った邂逅がもたらしたもの。
ウミベリも、ヤマノベも、これまでのあり方をまた一新させられるような衝撃が起こった。
もしかしたら、私たちの祖先もそうやってずっと続いてきた平穏がある日壊れて、その衝撃から立ち直る過程で新たな変化を体験し続けたのかなとか。
そんなことを考えながら、想像のタネがいろいろ膨らんでいきました。
結び
はじめは慣れない固有名詞の嵐にこころが折れそうになったのですが、はじめて触れる世界に最後のほうは夢中になって読み進めてしまいました。
「螺旋プロジェクト」という共通の世界観があることがじわじわと効いてきます。
はじめて降りた駅、見知らぬ土地で懐かしい旧友に出会ったような感覚でしょうか(笑
螺旋プロジェクトがなかったら、きっと出会わなかった。
嬉しい出会いに感謝です。
関連情報
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▽螺旋プロジェクトの感想一覧
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