海堂尊さんの本を順番に読んでいます。
『死因不明社会』は、ブルーバックスで以前出版されていましたが絶版になり、こちらの本が加筆修正された最新版ということで、こちらを読むことにしました。
※今回の感想は、個人的なことを取り上げています。あくまで個人の体験に基づく感想とご留意ください。
はじめに
「無知は罪なのである」
(P11 ブルーバックス版プロローグ)
本書を読んでいると何度か登場するこのフレーズ。刺さります。
わたしも、お恥ずかしながら海堂先生の本を読むまで「Ai(Autopsy imaging:死亡時画像診断)」という言葉も考え方も知らなかったです。
海堂先生の本を読みながら、わたしは時々あることを考えていました。
今回は、敢えて(勇気を出して)それを取り上げてみようと思います。
自分の経験をもとに
※個人的なお話が書いています。ご不快な思いをされる方がいらっしゃったら誠に申し訳ありません。
身近なところで、死因不明な出来事を体験したことがありました。
それは、わたしの父の死です。
わたしたち家族は無知さゆえに、死因不明の父について、病院側からの解剖の提案を断ったのです。
だから、父の死亡診断書にはありきたりな「心不全」という言葉がつきました。
わたしの父は、パーキンソン病でした。
亡くなる年に、長年続けてきた薬が少し合わなくなってきたからと新しい薬の調整に入っていたところでした。
これがなかなかうまくいかず、亡くなる前の月からちょっとずつ状態が悪くなっていきました。
ある日、不調でデイサービスを早退する出来事がありました。
病院に行って検査してもらったけど(CT)、そこでの所見は異常なし。
ちなみに、パーキンソン病で診てもらっている病院は大学病院で3カ月ごとの通院。
救急で診てもらったのは別の病院で当然カルテも共有されませんでした。(ここはまた別の問題が)
パーキンソン病で超危なっかしいながらも歩いて(一応)その日まで自立していた父が、突然まったく歩けなくなり「え? この状態で家に帰すの?」と思いました。
そう、まったく歩けなくなったのです。その日まで歩いていて自分でトイレに行って着替えていた人が、ほんとうに歩けなくなった。足が動かないのです。でも、なんで動かないのかはわからないのです。
それでも、病院から帰されたので、家でとりあえず様子を見ます。トイレは行けないけど、ごはんは食べられます。
父も「なんでこんなんなったんかなあ」と首を傾げていました。(意思疎通は問題なし)
救急で病院に行って3日後に、父は亡くなりました。
わたしはその日家にいなかったので、知らされたのは帰宅してからでした。
家に帰ったら父も母もいなくて、母から電話がかかってきて父が亡くなったことを知らされました。
父の様子が心配で、昼に電話したときには「ごはんも食べたよ」と母から聞いていて、動けない以外に変わったところはなかったのに、夕方には亡くなっていたのです。
様子がおかしいからと同じ病院にまた救急搬送されて、原因不明のまま亡くなりました。
母の意向で蘇生はされませんでした。
パーキンソン病で糖尿病の既往はあったけど(糖尿病は食事療法のみ)、循環器系の既往はなく「なんで?」と思いました。(この辺は医学的知識が乏しいので未だにわからない)
本書を読んでみて思ったけど、病院としても解剖の提案をされたのは、不明なまま亡くなったからだったのでしょう。数日前のCTで異常が見つかっていたら、もしかしたら突然死は防げたかもしれません。
ただ、無知なわたしたちは解剖については「もう結構です」と断りました。
死因がわかったところで、亡くなった父が帰ってくるわけではないからです。
突然父が亡くなったことへのショックのほうが強くて、それ以上の何かを求めることができませんでした。
(同時に、正直に申し上げましてわたしと母は父の介護に疲れ果てていたこともあります)
*
もし。もしも。
ここで、本書のような提案がなされていたら、なにか変わっただろうか。
本書を読んで知った、死亡時画像診断や解剖、死因不明社会日本の現状を知っていたら、もうちょっと変わったかもしれない。
せめて解剖の前にAiを受けていたら、生前のCTと死後のCTでなにか違いがわかったかもしれない。
父は灰になってしまって、あの身体でいったい何が起こっていたのかいまや誰にもわからないのです。
知らなかったこと、知ったこと
死因はそんなに簡単にわかるものじゃない。
わたしは、まずこの事実に驚きました。
突然死や事件性があるものなら当然ですが、例えば医療機関で亡くなった場合、死因ってもっとわかるものだと思っていた。
意外とわからないんだ。そうだったんだ。
死因をきちんと特定するためには、検案(体表を確認すること)では不十分で、解剖して身体のなかまでちゃんと見ないとわからないのです。それでも100%にはなりません。
しかも日本の解剖率は、たったの2%しかされていない。
もちろんAiですべてわかるわけでもなく、Aiは解剖をする前にまず画像診断して、それで必要であれば解剖もしましょうというのが海堂先生の提言です。
(本書によると、死因確定率は解剖で約8割、CTで約3割、MRIで約6割だそうです)
※Ai(死亡時画像診断)は、CTとMRIの両方を含みます。
解剖はお金も手間も時間もかかる。
本書では、解剖の手順が説明されていました。
素人なので、素人の意見ですが、いやあ、解剖って大変ですね。
数年前ですが、父が亡くなったときに解剖を提案した病院はまだ親切だったのではと思います。(その辺の判断は素人には分かりかねますが。ちなみに、その病院には恨みはありません。いまでも家族がときどきお世話になっています)
ものすごく手間と時間がかかります。お金もかかります。
解剖率が2%なのは、そういった事情もあるようです。
死因を解明するためには解剖がいちばん。ならじゃんじゃん解剖すればいいじゃん(じゃんがいっぱい←どうでもいい)という風にいかないのは、マンパワーとお金の問題もあるようです。
Aiは非破壊検査。CTとMRI両方含む
Ai(Autopsy imaging=死亡時画像診断)という言葉を使わない工夫がなぜかお役所でされていて「死後CT」という言葉が使われていますが、AiはCTとMRIの両方が含まれています。
Aiは非破壊検査で遺体を傷つけないことも、遺族には受け入れやすいメリットと言われています。
費用も時間も、解剖よりはずっと安上がりです。(その費用を誰が負担するかという問題は依然残りますが……海堂先生は国が負担すべきと提言されています)
結び:知らないことを知ること
「死因不明社会」は、人の心が作り上げた闇である。
それはまず、解剖率2%という状態の、検査をしない母地から発生する。
続いて検査できるのにあえてしないという、人の横着心から派生する。
最後に、検査しても捜査情報の枠組みに押し込み、死因情報を遺族に伝えず、社会にも公表しないという、死因究明担当者の怠慢と隠蔽体質によって増幅されていく。
(P333 『死因不明社会2018』文庫版あとがき)
大人が回している社会は、もっとまともに機能しているものだと思っていた。
そういうもんじゃないんだなあと、いろんなことを知るにつれて思い知ります。
わたしだって全然万能じゃない。むしろ日々「知らないことを知る」の連続です。
こんなに身近にもあったんだと知り、わたしにできることはささやかなことですがブログに書くことにしました。
本を読んだのは2月で、記事にするのに2ヶ月もかかってしまいました。(いまも、書きながらこころの片隅がドキドキしています……
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。