実は、本を開くまでなんの本か知りませんでした。
1ページ目を読みはじめて、「あ、これは『蜜蜂と遠雷』のお話だ」と知りました。
通りでタイトルの響きが似ているわけだ。
(今回の記事に合わせて、記事を修正しました)
祝祭と予感
「蜜蜂と遠雷」の短編集です。
全部で6篇のお話が収録されてます。
CDのおまけだったり、雑誌に掲載されたものだったりで、主人公たちというよりは、脇を固めた登場人物たちのサイドストーリーが多い。
ちょうど昨年の秋に出版されているので(図書館で適当な時期に予約するので、いつもタイムラグが生じる)、映画公開に合わせて発売されたのかな。
「蜜蜂と遠雷」はとても面白くて、大好きな小説のベスト10に入るのですが、その分厚さゆえにその後再読することはなく。
でも「祝祭と予感」を通して久しぶりに「蜜蜂と遠雷」の世界に触れることができて、あのときのこころ弾む体験が蘇ってきました。
小説を読むのが久しぶりなのもあるけれど、通勤の合間に、1日で読み終えてしまった。
面白いとページがどんどん進むのです。スイスイっと。
本家の「蜜蜂と遠雷」に比べると、ページ数も字数も多くないのでサクサクっと読めちゃいます。
そして、これは完全にファンサービスの1冊だなあと思いました。
「蜜蜂と遠雷」読者には、必読の1冊です!
どれも面白かったけど、今回は3篇をクローズアップしてみます。
竪琴と葦笛
ナサニエル・シルヴァーバーグの視点からの、マサルとの出会いのお話。
ナサニエルは「獅子と芍薬」でもメインで登場しているので、愛されています(笑)
登場人物ひとりひとりに、物語があるんだなあと想像されます。
ナサニエルの音楽に対する考え方や生徒への接し方もさることながら
やっぱりいちばんのスポットライトは
マサルの策士っぷり(笑)
一見優男なイケメン王子ですが、マサルくんってめちゃくちゃしたたかだよね。
ちなみに原作を読んでいるときは、わたしはマサルさんより明石さん派だったのですが、映画を観てからは、マサルくんも良いなあと思うようになりました。
自分のやりたいこと、ヴィジョンをしっかりと持っている人。
音楽の才能ももちろん大事だけれど、才能があってもそれをどう生かすかはその人次第。
才能があっても潰れてしまう人だってたくさんいる。
鈴蘭と階段
奏ちゃんのお話。
映画では尺の関係で奏ちゃん一家のことはなかったことになっていたけど、亜夜がピアノの世界に戻ってこられたこと、あのコンクールに出られたこと、奏とその家族の貢献なくしては語れない。
縁の下の力持ち。そういう表には語られない支えって実はとてもとても貴重で大事。
コンクールの衣装を亜夜に貸すエピソードも、どの衣装がいいかめちゃくちゃ考えてくれて、「うわあ、この子なんて良い子なんだ」と思ったものです。
その奏は、ヴィオラ奏者。
奏のヴィオラにまつわるお話です。
このお話は天才さんがたくさん登場するので、それに比べると奏は明石さんに立ち位置が近いのだけれど、でもやっぱり音楽をする人。
キムチ鍋の探求に勤しみつつ(素敵です)、自分に合ったヴィオラを探している。
次に取り上げる「伝説と予感」にも通じるのだけれど、意味のある偶然の一致、共時的な体験が見事に描かれています。
偶然の一致なんだけれど、でもそこには奏が自分のヴィオラを適当にしないで「何か違う」とモヤモヤしていたことがあって
それはたぶんキムチ鍋のぴったりする味を探す作業に似ていて(笑)
そして、亜夜を支えた人徳もあって(人と人との繋がり)
はじめてあの運命的なヴィオラに出会えたのだろうなあと思います。
なにもせずに待っていても、向こうからやってきてくれるものではなく
いくつもの事象が重なって、その出来事にたどり着くのでしょう。
鈴蘭の可愛いけれど毒を含んでいるその花が、良い感じにアクセントとして効いています。
伝説と予感
「蜜蜂と遠雷」では登場しないのに、存在感だけはずっとずっと大きくあり続けた人。
最後はホフマンのお話です。大トリを飾るにふさわしいですね。
最後を締めくくるのにふさわしい、終わりにしてはじまりの物語。
こういうの、すごーく好きです。
読んでいて、ホフマンの息遣いや塵との出会いの情景が、目に浮かんでくる。
出会うべくして出会ったふたり。
ワクワクして静かに幕が閉じられる。
この本の巻末を飾るにふさわしいお話でした。
ついでに映画「蜜蜂と遠雷」の感想も
昨年公開された映画「蜜蜂と遠雷」は観に行きました。
ブログに感想を書きたかったのだけれど、タイミングを逃してしまった(確かその時期ブログ更新おやすみ引きこもり中だった)
良い機会なので、ちょろっと感想を書いておきます。
原作=文章、映画=映像と音楽、持ち味をそれぞれ余すところなく生かしている。
もちろんあの原作が映像化されたら、どんなピアノ演奏が聴けるんだろうとか気になりますよね。
でも、それだけじゃない。
映像と音だから表現できるものを、あの短い時間で(原作のボリュームにしたらよく2時間でまとめたと思います)存分に生かしている。
それは、例えば馬が駆けるシーンだったり、水が落ちる情景だったり、亜夜のお母さんとの回想シーンだったり。
あえてあえての無音ですよ!! 天才じゃないかと思った。
ピアノのコンクールのお話だから、ピアノのシーンこそと思いますが、わたしはそういうピアノ以外に挟まれた、原作にはなくて、でも映画だから表現できるイメージの力が表現されていたことにとても感銘を受けました。
そして、あの迫力は、やっぱりスクリーンだから映えるというのもある。同じものをテレビでやってもあそこまで映えない。無音の静寂も、映画館だからより際立つ。
もちろんコンテスタントたちの活躍も、とても良かった。
映画では亜夜に焦点を当てて描かれていたけれど、4人それぞれがはまり役でそれぞれの魅力を引き出していました。
さっきも書いたけど、マサルくんは映画でわたしのなかの株が上がりました。
明石さんは天才3人に比べると目立たないんだけど、でもあの人がいないと「蜜蜂と遠雷」は作品が締まらない。
さりげなく、ちゃんと最後に結果発表に特別賞で名前が載っているのも、良いです。
わたしはピアノのことはやっぱり詳しくないので、肝心の演奏はもう素人目線でしかなかったのですが、音楽に詳しい人が見たらきっともっと違った感想を聞けるのだろうなあ、聞いてみたいなあと思いました。
結び
ついでに映画の感想にも触れることができて良かったです。
物語の持つ力に、めいっぱい癒されました。
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