『ネアンデルタール人は私たちと交配した』スヴァンテ・ペーボ

 

新聞の書評で見つけて、面白そうだったので読んでみました。

2022年にノーベル生理学・医学賞を受賞された、スヴァンテ・ベーポ博士の本です。

めちゃくちゃエキサイティングな自伝でした。

はじめに

本書は、生物学者である著者の30年に渡る研究の成果を自身の人生と重ね合わせて自伝的に書かれた本です。

 

タイトルの通り、メインテーマは「ネアンデルタール人は現生人類と交配したのか(つまり、ネアンデルタール人の遺伝子は、いまを生きる私たちに受け継がれているのか)

 

遺伝学について詳しくない人でも「なんだかよくわからないけど激アツだな!(語彙力…)」と思えるほど、地道でコツコツと、しかしダイナミックでドラマチックな展開が待ち受けています。

 

今回は

  1. 人生の転機に自分が選ぶこと
  2. ネアンデルタール人が現代人の中に生きているのか(メイン)
  3. おまけ

以上の3点でお届けします。

 

人生の転機に自分が選ぶこと

スウェーデン出身のベーポ博士。

実はもともとは医学博士。生物学畑出身ではなかったのです。

(ちなみに彼の父親スネ・ベリストロームも、医学から生物学へ転向したノーベル賞受賞者。親子揃ってノーベル賞受賞! とにかくめちゃくちゃ頭がいいのはわかった←凡人の感想…)

 

人生の転換点が1987年(著者32歳)のときにやってきます。

 

わたしには3つの選択肢があった。

研修医となって医学の勉強の仕上げをするか(興奮に満ちた経験をした後では、退屈な展望だった)、

世界有数の研究室で、博士論文のテーマだったウイルスと免疫防御の研究をきわめるか、

あるいはアランの招待に応えて、古代の遺伝子の回収に努めるか。

(P56 第3章 古代の遺伝子に人生を賭ける)

 

要は

  1. 平凡だけど堅実な人生(お医者さん。もっとも安定)
  2. 世の中の最先端に関わる研究(まじめな研究)
  3. 当時はマイナーな研究(自分は惹かれるけど周囲は推さない)

 

もちろん①も②も悪くない。

多くの人は②を勧めたそうです。③は趣味にしとけと。

至極常識的で真っ当な意見です。著者も迷います。

 

③に惹かれるけど、研究者としては②がもっとも堅実かつ未来に貢献できそうです。

 

しかし、アラン(アラン・ウィルソン。カルフォルニア大学バークレー校の教授で著名な進化生物学者)から

彼(アラン)は、好きなこと、自分にとって最も重要だと思えることをやりなさいと、励ましてくれた。この出会いに助けられて、わたしはためらいを払拭することができた。バークレーに行きたいと、彼に伝えた。

(P58 第3章 古代の遺伝子に人生を賭ける)※太字はみのりによるもの

 

なんという人生の転機!

迷ったときになにを基準に選ぶか。指針を与えてくれるようなエピソードです。

 

もちろんそれで人生全てうまくいわけじゃない。

著者だって、何度もうまくいかず地道にコツコツエピソード満載です。

それでも、人生を振り返ったときに「自分が何を基準に自分の人生を選んだか」は大きな意味を持つのだろうなと思いました。

 

ネアンデルタール人は私たちの中に生きているのか

この本のメインテーマです。

著者の人生、研究者としての歴史(ざっと30年!)それは、分子遺伝学の発展の歴史とも重なります

わたしが理解した範囲で、超ざっくりと経過をたどってみました。

 

DNAって全然安定してないんだって

生物の教科書では、DNAは、(中略)安定した化学構造として描かれているが、生きている細胞核とミトコンドリアの中では、決して安定などしていない。むしろ化学的なダメージを受け、常に繊細なメカニズムでその傷を修復しているのだ。

(P16 第1章 よみがえるネアンデルタール人)

 

生きている間も実は安定していないDNA、なんとかかんとか修復していますが、生物が死ぬとその修復システムは止まります。

バクテリアとか宇宙線とかいろいろな要素で、DNAは徐々に壊れてしまうのだそうです。

 

ちなみに、骨にはDNAがかすかに残っていて、そこからDNAを復元させるのが20年に渡る研究の成果。

当然新しい骨ほど復元しやすく(従来は不可能と言われていた骨からのDNA検出で犯罪捜査にも使われるようになりました)、古い骨ほどむずかしい。

 

しかも、問題はそこだけではなかった。

 

と言うのも、古代の骨からの抽出物——古代のDNAをわずかに含むか、まったく含んでいない——には、現代人のDNA分子が混入している恐れがあったからだ。用いた薬品、研究室のプラスチック容器、空気中の埃——人間のDNAを運ぶ媒体はいくらでもある。実のところ、人間が暮らす部屋や仕事をする部屋の埃の大半は人の皮膚の断片で、その細胞は完全なDNAを含んでいるのだ。また、かつて博物館や発掘現場でその化石に触れた人のDNAが混入している可能性もある。

(P20 第1章 よみがえるネアンデルタール人)

 

ええー、そうなの!!?

つまり、遺伝子を増幅させる方法(PCR法)は、感度が高いゆえに、狙っている極微量のネアンデルタール人の遺伝子ではなく、混入した新鮮な(笑)現代人の遺伝子も増幅しちゃうそうです。

 

たしかに、人の皮膚は常に生まれ変わっていて目に見えない小さな皮膚片が実は毎日落ちているという話は聞いたことがあった。

 

この、混入の問題はずっと懸念事項で、それゆえベーポ博士のラボでは、クリーンルームを作って現代人のDNAが混入しないように超厳密に管理していたのだそうです。

他の研究者の論文では、この混入の問題を精査しないで発表されたものも少なくなかったそう。

なんだか、これは面白いなあと思いました。

わたしたちの目に見えないミクロの世界では、あちこちに現代人のDNAはそこら中にあるということです。

 

DNAは保存される期間も限られている(ネアンデルタール人はギリギリのライン!)

アラン・ウィルソンとわたしは、もし水分があり、暑さも寒さもほどほどで、酸性もアルカリ性も強すぎない環境にあれば、DNAはどのくらいの期間、保存されるかについて、リンダルの研究に基づいて大ざっぱな計算を試みた。そして、数万年——きわめて恵まれた環境なら数十万年——が過ぎると、分子はすべて消滅するという結論にいたった。

(P83 第4章 「恐竜のDNA」なんてありえない!)

 

数万年前の動物のDNAを取り出すことに四苦八苦している最中、世界では恐竜(数百万年前)のDNA抽出の話題で盛り上がっていました。

つまり、リアルジュラシックワールドな発見が起こっていたのです。

 

そりゃあ興奮しますよね。

世界にはネアンデルタール人より恐竜ファンのほうが多いだろうし(←そこ?

 

対するベーポ博士は、粛々と自分の(一見)地味で地道な研究を続けておられました。

結果的に、この恐竜のDNA抽出は誤りで、先ほど述べた「混入」が起きていたようです。

 

上記の引用は、ネアンデルタール人の生きた数万年前は、遺伝子が保存されているギリギリのラインだということがわかります。

遺伝子は、年数が経てば経つほど劣化してやがては消滅していきます。

恐竜の骨が残っていても、そこから遺伝子を抽出するのは不可能なのだそうです。

リアルジュラシックパーク、ならず。

 

他の研究者たちが『サイエンス』や『ネイチャー』に数百万年前のものだと称して何のものだかわからない配列を続々と発表するのを口惜しく眺めながら、混入や他の技術面の問題と格闘しつづけたが、その数年に及ぶ苦労は十分、報われた。かつての落胆は深い満足へと変わっていた。この分野は確立されたのだ。かつて挑戦しようとしたものに戻るべき時だ。古代の人間のDNAに。

(P96 第5章 そうだ、ネアンデルタール人を調べよう)

 

世界中の博物館には、いつ使われるかわからないおびただしい数の標本があります。

東京国立博物館もそうですよね。

 

DNA抽出の技術が洗練されたことで、博物館に保管されている動物の標本から多くの動物のDNA研究が進んだそうです。

また、この技術は法医学の分野でも活用されるようになりました。(遺物に残されたDNAから犯人や被害者を特定できるようになった)

 

単に「古代人のDNAを調べよう」だけでなく、その過程でいろんなところに派生するのですね。

科学って面白い!

 

交配したかどうかではなく、遺伝子が残っているか問題。

わたしたちがそれ(ネアンデルタール人のDNA)を受け継いでいないのであれば、3万年前に起きた交配は、遺伝的な意味では何の結果も残さなかったと言える。
(中略)
つまり問題は、両者の間に子供が生まれ、その遺伝子が今日に伝えられたかどうかということなのだ。

(P136 第8章 アフリカ発祥か、他地域進化か)

 

ちょっとややこしいのですが、この段階で抽出されたネアンデルタール人のDNAはmtDNA(ミトコンドリアから抽出されたDNA)です。

このmtDNAを抽出するだけでも大事業なのですが、mtDNAは全体のゲノムの0.0005%です。(多いのか少ないのかよくわからない…

 

ネアンデルタール人のmtDNAと現代人類のmtDNAを比較すると「んーなんか違うんじゃね?」となってしまった。

mtDNAは超長いゲノムのほんの一部。それだけでも十分研究価値は高いんだけど母親由来のゲノムしか拾えないデメリットもある(卵細胞で母から子に伝えられるため)

 

そしてはっきり言えないところを「でもネアンデルタール人のDNAは現代人に受け継がれていると思います!」と言うのは、科学的ではない。

交配したからといって、それが後の世まで伝わったかどうかははっきりわからない。

後の世まで伝わるということは、子どもができて、さらに次の世代へ、と世代のリレーが繋がっていかないといけませんから。

 

だったら核DNA(父親・母親由来両方入っている)を調べるしかないじゃないか!

と、なったわけです。

(そこからがまた長く熱いドラマが10章続くんだけど、詳しくは本編を読んでね。)

 

ネアンデルタール人は私たちの中に生きている

数十年にわたって議論されてきた、人類の起源にまつわる重大な謎を解く証拠を、わたしたちは手にしたのだ。そしてその答えは予想外のものだった。

現代人のゲノム情報のすべてがアフリカの祖先に遡るわけではないと、(中略)厳格な出アフリカ説を否定したのである。

(中略)

ネアンデルタール人は完全に絶滅したわけではない。彼らのDNAは現代の人々の中に生きているのだ。

(P264 第18章 ネアンデルタール人は私たちの中に生きている)

現段階で最も単純な——最も節約型の——シナリオは、交替した集団が中東のどこかでネアンデルタール人と出会い、交配し、生まれた子どもを育てた、というものだ。

その(中略)子どもらは、ネアンデルタール人のDNAを、内なる化石のように、次の世代へと伝えていった。現在、その(中略)遺物は、南米南端(中略)や、太平洋の真ん中にあるイースター島にまで達している。ネアンデルタール人は多くの現代人の中で生きているのだ。

(P279 第19章 そのDNAはどこで取り込まれたのか)

 

わたしが学生時代に習った生物学史が、覆った。

ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人と繋がりがないと言われていたのが、違ったのです。

分子遺伝学が、DNAというそれまでの考古学と違う視点から、新たな歴史的事実を発見した。

 

そう。ネアンデルタール人は私たち(ホモ・サピエンス)と交配したのです。

 

おまけ

類人猿は、あらゆる技能を親や他のおとなに教えてもらうことなく自分で試行錯誤して習得しなければならないが、人間は先人が蓄積した知識を土台としてさらに先へ進むことができる。例えば、自動車を改良するのに、ゼロから自動車を発明する必要はない。

(中略)

人類が文化と技術において桁違いの成功をおさめるうえで、それが欠かせなかったのは確かだ。

(P287 第20章 運命を分けた遺伝子を探る)

 

これを、当時ライプツィヒの研究所の比較発達心理学部門の長だったマイク・トマセロは「ラチェット(歯車の歯止め)効果」と呼んでいます。

ニュートンの「巨人の肩に乗る」と同じような意味かなと思います。

 

科学が近代の発展に多大に貢献したことは、人間の持つ強みが遺憾なく発揮されたからです。

 

もちろん、何事にも両面はあります。良いことがあればそうでないことも起こります。

この人間の持つ強みが、現代の世界で起こっている問題を改善する方向へ進んでいくと良いなと思いました。

 

最後にベーポ博士の言葉で締めくくりたいと思います。

大学院生やポスドクは、自分たちのキャリアが実績と論文次第だと知っているので、重要な実験、主著者のひとりになれる実験を選びがちだ。(中略)だが驚いたことに、この危機的状況の中で、自分本位な姿勢は消え、だれもがグループのために、献身的に働き出した。(中略)個人に栄誉をもたらすかどうかなどおかまいなしだった。これは歴史的な挑戦だという強い目的意識を、グループの全員が抱いていたのだ。

(P209〜210 第13章 忍び込んでくる「現代」との戦い)

 

個人の利益ではなく歴史的な挑戦を優先させた彼ら。

そんなふうに、ひとりでは成し得ないことも、人のちからが集まると不可能だと思えたことが可能になったりする。

この本が、著者の長年の研究成果をまとめたものでありながら自伝的要素を兼ね備えていたのは、それがひとりで成し得たものではないからなのでしょうね。

 

結び

読むのも感想をまとめるのも、ずいぶん時間がかかってしまいました。

 

分厚くてその方面に疎いと難解なところもありますが、それでも読み進めてみたくなる熱い本です。

ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

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