9月もコロナを通して振り返ってみます。
今月は本の感想を混じえながら書きます。
※個人的な所感満載です。
※文中の「コロナ」は新型コロナウイルス(COVID-19)の略です。
※2023年5月、記事の一部を修正しました。
「コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線」
やっとコロナ関連の本を手に取るまでになりました。
本紙は朝日新聞デジタル版に2020年4〜5月頃に連載された記事をまとめたものです。
わたしでも名前を知っているような有名な識者さんも名前を連ねていて、どんな風なことが語られているんだろうと気になって読んで見ました。
コロナ後というかコロナのさなかを語っている
朝日新聞デジタル版は読んでいないので、どうしてもタイムラグが生じる。致し方ないけれど。
なにせこの本のインタビューや寄稿記事は、2020年の4〜5月頃。
緊急事態宣言が発令されてコロナムードが日本中を覆い尽くしていた第一波のさなかです。
だから、タイトルにある「コロナ後の世界」というのには語弊があるような感触。
2020年9月の時点のわたしが読むと、物足りなく感じるわけです。
たぶんこれをリアルタイムで読むと、また違った感触を得たんだろうな。
おそらく、本書のなかでも、この記事の時点と4〜5ヶ月経った現在ではまた少し変化が訪れている方もいらっしゃるのではないかと思います。
いまはこういう状況にも少しずつ慣れてきて、冷静に見つめられる部分も増えたけれど、わたしはこの4〜5月ごろは精神状態がけっこう危うかった。語れる頭も行動力もなく、ただただ翻弄されていました。
比べるのもおこがましいですが、そういうさなかでもそれぞれの立場から先を見据えて発言されているのは、やっぱり一読に値するのではないかと思います。
印象に残ったもの(付箋を貼った箇所)を取り上げてみます。
養老孟司(解剖学者)
「そこでやっと気が付く。自分のやることなんだから、すべては自分で考えるしかないんだな。」(P21)
「人とウイルスの、不要不急の関係がいかに深いか、それはヒトゲノムの解析が進んでわかったことである。ヒトゲノムの4割がウイルス由来だという報告を読んだことがある。その4割がどのような機能をもつか、ほとんどまったく不明である。むしろゲノムの中で明瞭な機能が知られている部分は、全体の2%足らずに過ぎない。つまりヒトゲノムをとっても、そのほとんどは不要不急である。(中略)むしろ要であり、急であることが、生物学的には例外ではないのか。」(P25)
コロナ禍になるまで「不要不急」という言葉を考えてみたことさえなかった。(台風のときくらいか?)
そして「不要不急」という言葉(ある意味暴力的な響きである)に照らし合わせると、日常生活の多くは、ほとんどは不要不急なことばかりです。
コロナでは人の死に立ち会うお葬式ですら密になるからと、なくなったところもあります。
でも、一方で日常は不要不急なことで占められていて、それが日常であった。
コロナがこれまでの価値観をガラガラと音を立てて崩し、再構築させることに繋がっているという点で、「不要不急」という言葉の意味を考え直すことは意味のあることだと思います。
でも一方で、不要不急なことでいいじゃないか、とも思います。
なんにせよ決めるのは社会でも政府でもなくて、自分なんだろうなあ。
福岡伸一(生物学者)
「ウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。(中略)ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。」(P31)
コロナが流行りだしたころ、いろんな人がいろんな意見を言っていました。
何より掻き立てられたのは、新型コロナウイルスそのものではなく、人々の「不安」だったのではないかと思います。(わたしも含めて)
人とウイルスの歴史はとてもとても長いのです。
こんな風に爆発的に一気に世界中に広まることはなかったかもしれないけれど、これまでだって感染症の流行はあったし、その度になんらかのかたちで収束していった。
いまこのときも、ウイルスは日々変異を続けている。
そう思うと、ウイルスの根絶や打ち勝つというのは方向性としてちょっと違うんだなとやっぱり思います。
拡がらないための対策はやはり必要だとは思うけれど。
大澤真幸(社会学者)
「人間は『まだなんとかなる』って思っているうちは、従来の行動パターンを破れない。破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思います」(P89)
「ピンチ(危機)はチャンス(好機)」という言葉を、今年は何度も反芻したような気がします。
個人的な意見ですが、9月入学の議論が活発になったのは良い傾向だったと思いました。
いろんなことが見直されるきっかけにはなった。
5年10年後に、どんな世の中になっているかはまだ予想もつかないし、結局淘汰されるものもあるだろうけれど、でもこの流れが良い方向へ転じていることもきっとあるだろうと思います。
物事には両面があるので、その分損害を受ける人の痛みもまた半端ないのですが。
斎藤環(精神科医)
「会議も人と人が会うと、やっぱり話が早いし、効率が良い。なぜかといえば、暴力だから。この暴力の存在を、私はコロナ禍の中であらためて自覚しました。私が日々している会議、授業、診察。それらもまた、暴力なのだなと。私自身、そこに入る前に緊張したり、気が重くなったりする。でも、終わってしまうと、やってよかったという気持ちになる。その理由も「会うことの暴力性」から来ている。」(P142)
コロナで個人的にいちばんの変化は「人と人が会うこと」が簡単にできなくなったことです。
でも、人と人が会うことが「暴力」だという発想は持っていなかった。
暴力という言葉のインパクトが大きすぎてびっくりしてしまうけれど、確かにそういう面もあるのかもしれない。
人と人が会うことは、エネルギーを得ることでもあるけれど、一方でエネルギーを消費することでもある。
そこから一人の時には得られないものが生み出される一方で、ひとりのときにはない傷つきが生まれることもある。
また、逆もある。わたし自身も出会う人へ何かしらの影響を与える。無自覚に。
わたしは「人と人が会うこと」のメリットばかりに目が向いていたのですが、コロナで人と人の接触が減ったことで楽になった部分もあったと思います。
磯野真穂(医療人類学者)
「生きる際に、どうしても欠かせないのは体です。オンラインだと(中略)体の持つ煩わしさを消してくれるわけですが、私たちが病気にかかり、いずれは死ぬ存在である以上、体の煩わしさをケアしてくれる他者がどうしても必要になる。(中略)オンラインは『体の煩わしさ』を捨象しているので、代わりにはなりません。長い外出自粛が続き、ネットを通じた交流だけでは、こぼれ落ちるものがあるという感覚は、多くの人が抱いているのではないでしょうか。」(P160)
最後に取り上げるのは、先の斎藤先生とは異なる視点で「人と人が会うこと」の価値を問い直している文章です。
これは不要不急の問いについてと通じるところがあるけれど、「体の煩わしさ」は、煩わしいからこそ人と人が会うことの効用を示している。
両義的なんです。
煩わしいから、ネットを通した関わりは楽にする部分もある。
でも、ネットを通したやりとりだけでは、全てを代替することはできない。
あ、あと養老先生の最初の言葉に帰結しますが、何を選んでいくのかは、やっぱり決めるのは自分なんですよね。
結び:9月は動かない時期だった
ブログの記事では星乃に行ったりコメダに行ったりと定番のカフェめぐりは健在なのですが(苦笑)、9月は家で過ごすことが多かったです。
というのも。捻挫をしたので動けなくなった。
捻挫は幸い軽傷だったのですが、ちょっと身体のバランスが崩れただけで、それは身体全体に影響するんですね。
予定通り半分こもりりの生活をはじめたわたしは、9月は遂に家のなかの整理をはじめました。
ずーっとやらないとなあと思いながら、休みの日は休むことに精いっぱいで、手が回らなかったことにようやく行動が移せるようになってきた。
コロナは8月のピークに比べると落ち着いてきた感はありますが、
検査数も増えているけど、感染者数もまあ依然として低くはない。
……んだけど、なんかそれすらももう一喜一憂しなくなった。
良くも悪くも、できる範囲の対策を取りながら、日々淡々と過ごすようになりました。
あ、シルバーウイークは安定のステイホーム生活でした。(これはコロナに関係なく大型連休はいつものこと)
「鬼滅の刃」(原作)を、遂に21巻まで読みました。
また感想書きたいです。映画(無限列車編)も観に行きます!(ワクワク)
※2023年5月追記 映画の感想
関連情報
▽2020年4月から半年間のCOVID-19について考えたこと記録
その7:本を通して考える(9月)この記事
本書は、精神科医の斉藤環先生と、歴史学者の與那覇潤先生の対談集です。 與那覇先生は双極性障害の経験から患者的立場と歴…
本書に登場する、斎藤環先生の対談本です。
▽関連商品
*