ウイーン・モダン クリムト、シーレ、世紀末への道〜国立国際美術館〜

大阪開催は2019年12月8日まで。

滑り込みで見にいくことができました。

 

ウィーン・モダン展 概要

クリムトは原田マハさんの「いちまいの絵」を通して知ったのですが、実物を見たことはまだありませんでした。

 

いちまいの絵
原田マハ

 

知人が東京でクリムトを見に行ったという話を聞いて、一度見てみたいなあと思いながら行こうか迷っていました。行って良かったです。

 

全体の感想

19世紀末のウイーンの芸術のモダニズムというテーマに沿った展覧会は、面白い趣向だと思いました。

なんだかこういうことを通して、もっと歴史を学びたくなる。(逆にいうと、教養がないからわからないところも多々あったと思う)

 

また、絵画だけでなく、音楽、建築、また調度品(椅子や机など、家具だけでなく、調味料入れやティーセットのような日常使いのものまで……まあ銀製品なので身近というほどではないんだけど)など大きな括りとしての芸術に焦点を当てていました。

ウイーンが芸術の都と言われる所以、芸術というカテゴリの変遷、また「芸術(アート)ってこんなに身近なんだ」と今更ながらに感じる体験になりました。

 

もちろん芸術的価値の高い椅子などが存在することは知っていたけれど、日常をアーティスティックに捉えるという発想は、いままでの自分にはなかった。

椅子は座れればいいし、食器は使えればいい。実用的なことしか考えていなかった。そういうセンスの問われることは、自分とは異なる世界のお話なんだと思っていた。

でもそうじゃなくて、それは線で隔てられた遠い世界のお話ではなく地続きのものなんだと、今回の展覧会に行ってなぜかストンと入ってきました。

自分にとっては新鮮な体験になりました。不思議です。

 

 

クリムト、シーレ

この展覧会の目玉はなんといってもクリムトであり、次いでシーレです。

しかし、今年に入ってクリムトのことを知ったぐらい自分の興味あるもの(わたしは印象派が好き)以外には教養の浅いわたしは、シーレも今回はじめてお目にかかりました。

 

結論から言うと、良き出会いとなりました。

今年は生まれてはじめてというくらいわたしにしてはよく美術展に行ったのだけれど、わたしのなかに新しい世界がどんどんと拡がっていく感触です。

鉱脈をどんどんと掘り進めている感覚とでもいうのでしょうか。

 

 

クリムトは、14点(ポスターや雑誌のカバーも入れると16〜7点)。

色々な作品が展示してあったのだけれど、はじめて見るタイプ。圧倒的。

「ああ、この人は天才だ」と思えるのはなんだか不思議な感触でした。

 

全然違う絵でも、なんというか、クリムトという存在感が際立つのです。

「すごい」と思うし、確かに惹かれる部分は大いにあるのですが、根っこのところでは自分とはちょっと相性が合わないなと思いました。でも、それでもやっぱりグイグイ引き込まれる圧倒的存在感です。

 

シーレは、これもまた別ベクトルで才能だなあと思いました。

この人にしか描けない味というものが、魅力だなあと。

素描が、個人的に興味深かった。クリムトの素描も良かったんだけど。

 

 

個人的には画風としてはクリムトのほうが自分の好みに合っているのですが、相性的にどっちが好きかと言われればシーレかもしれない、と思えたのがなんだか面白いです。

完全に個人的な見解です。

 

ちょっと残念だったこと

今回の展覧会の目玉でもある、クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像

 

なぜなのか経緯は知らないのですが、この作品だけ「写真撮影OK」になっていました。

 

「ええー、いいのー?」とびっくりしつつ、みんな撮っているし、わたしも何枚かカメラにおさめました。

でも、これ。完全に失敗したなと思いました。

 

基本的に美術館では写真撮影は禁止です。

色々な事情はあるけれど(肖像権や著作権の問題とか)、自然に、とにかく絵とじっくりと向き合う時間になります。

昨今は、スマホの普及のおかげでなんでもすぐに写真を撮ることができるようになった。わたしも、カフェとか行くとよく写真を撮るし、ちょっとした備忘録で写真に残しておくこともある。

 

でも、今回。

写真を撮るという行為と、写真を撮るときに生じるシャッター音と。

 

明らかにこの「エミーリエ・フレーゲの肖像」の時だけ、絵を向き合えなかった。

全然、この絵と対話できなかった。

 

すぐに気軽に写真を撮れることの功罪は、実はこんなところに潜んでいたんだなあと、気づかされました。

残せないからこそ、じっくりと見るのです。目に焼きつくように。

そして、じっくりと時間をかけて見るからこそ、色々な感情が湧いてくるのです。

一瞬を切り取る行為は、それを阻害してしまう。

 

旅先で風景を撮るのともちょっと違うかなと思います。

美術は、つくり手の思いが込められている作品です。

 

この試みが正しいかどうかの議論は別にして。

わたしには、あまり利がないし、美術鑑賞しているときは、普段使わない感覚を研ぎ澄ませているんだなあという気づきにもなりました。

 

今日の一点:「メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター」ハンス・マカルト

毎回美術展に行くと、「自分だけのとっておきの一点」を探します。

これは別にその作品の知名度や芸術的素晴らしさに関係なく、単純に「理由はよくわからないけど自分がこの絵に惹かれた」ものです。

 

今回は、クリムトでもシーレでもなく、その前の時代の「画家のプリンス」と言われた宮廷御用達の画家ハンス・マカルトの作品です。

 

単純に見るとクリムトのほうが女性の描き方は魅惑的なのですが、クリムトはクリムト色が強くて女性よりクリムトが描いた感じが前面に出ている感じ。(超個人的な感想です

マカルトも女性を描いた作品が難点かありましたが、そちらはモデルになっている女性のほうがちゃんと主役になっている印象がありました。(超個人的な感想です

 

この絵は、結構大きなカンバスに描かれていました。だからとっても目を引きます。

絵のタイトルから察するに絵のモデルになっている女性は女優さんなのですが、凛として一点を見つめていて、女性らしいのだけれど凛々しさがあり、そして背景の暗い色と女性の白い明るい色のコントラストが際立っていました。

 

なんとなく、いま現在の自分のテーマと重なるところとかあったので、そういうのもあって惹かれたのかなあと思います。

 

例により全部見終わった後にまた引き返して、この絵の前で延々とまぶたに焼きつくまで見てしまいました。(至福の時間……でもあとですごく疲れる)

 

結び

観に行くのがギリギリになったのは、行こうかどうかギリギリまで迷っていたからでした。

でも、行ってみるといろいろな発見があったり、刺激をいただいたりで、行って良かったと思いました。

 

もともと絵を見に行くのは好きだったのですが、そんなに頻繁に行くほうではなく、何年かは足が遠のいていました。

行こうとするところまでのエネルギーと、熱意が向かなかったというか。

 

今年はいつにも増して行ったのだけれど、行けば行くほど貧困ながらも自分のなかにある「芸術的なスイッチ」が活性化されたようです。

来年も、機会を探していろいろ回ってみたいです。

 

あとひとつ。

こうやって振り返って書くことで、また自分のなかで掘り下げられるのも良い体験です。

美術については全く教養がないので、素人目線で適当に書いていますが、適当なりに言葉を探して書くって結構むずかしいです。でもやってみると、言葉になっていないものを探し当てていく作業にもなります。

 

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

 

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▽原田マハさん「いちまいの絵」感想

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