「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン

 

「一流の頭脳」で有名なスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンの本です。

 

 

▽このブログでも取り上げました。わたしも運動を大事にするようになりました。

 

(著者の名前がアンダースとアンデシュで違うのは、スウェーデン読みかどうかの違いだと思う)

 

出版されたときは、けっこう話題になりましたね。

時間差にはなりますが、読んでみました。

 

面白くてぐいぐいと読んでしまいましたよ。若者から大人まで、スマホを触るすべての人(それはもういまやほとんどの人じゃないだろうか)に読んでほしい1冊です。

 

人にとって大切なこと

まずは前菜。まえがきから。

「睡眠、運動、そして他者との関わりが、精神的な不調から身を守る3つの重要な要素だ。それは研究でもはっきり示されている。それらが減ると、調子が悪くなる。守ってくれる要素がなくなるからだ。だから生活は快適になったのに、なぜ精神状態が悪くなるのか理解できるようになる。」

(P10 コロナに寄せてーー新しいまえがき)

 

コロナになってから新たに書き足されたまえがきには、人が精神的不調に陥らないために大切なシンプルなことが3つ書かれていました。

睡眠」「運動」「他者との関わり」です。

 

特に最後の「他者との関わり」は、コロナになってからより価値が見直されるようになったのではないかと思います。

コロナに罹ることそのものも大変だけれど、コロナによって引き起こされた他者との関わりが阻害されることの影響も大きいと思う。

 

会いたい人に会えない。会うことが憚れる。

(1年前に比べると、だいぶ緩和されてきたところもあると思うけれど、個人差があると思う)

 

人と人が触れ合うと、「オキシトシン」という神経伝達物質が出るそうです。

これは、別名“幸せホルモン“とも言われるもの。

なにより直接の交流が最も効果があるそうです。

 

ちなみにスマホを使う時間が増えると、これらの3つの大事な要素すべてに影響する可能性があります。

当然、精神的不調に陥りやすくなるリスクも高まるということです。

 

集中力は宝物。

スマホが引き起こしている弊害のひとつが「集中力の低下」です。

著者によると、目につくところにスマホがあるだけで集中力が低下するそうです。

スマホをしながら勉強したり、人と話しながらスマホをしていたら言わずもがなですよね。

 

これは、わたしもけっこう身に覚えがあります。

わたしは常時マナーモードだし、通知もメール以外は切っているのでそんなに頻繁にチェックすることはないんだけど、それでもスマホが手元にあると「ちょっと気になる」感じがあります。

 

勉強したり書き物をしたり本を読んだりするときにはスマホを開きながらすることは基本ないんだけど、特に気をつけないといけないなあと思うのは食事をするとき

 

こちらも、基本食事中は見ません。外食するときも、食べる前に写真を撮ったあとは、カバンのなかにしまいます。

でもたまーに職場の昼休み(※ひとりで食べる)に、スマホを手に取ったときは食事に集中できてないなと思います。どこに入ったかよくわからなくなる。

 

 

「脳には、膨大な数の手順を同時処理するという信じられないほどすごい能力があるが、知能の処理能力には著しく限定された領域がひとつある。それは集中だ。私たちは一度にひとつのことにしか集中できない。複数の作業を同時にこなしていると思っていても、実際にやっていることは、作業の間を行ったり来たりしているだけなのだ。」

(P88 第4章 集中力こそ現代社会の貴重品)

 

もう最近では当たり前のように言われていますが(わたしがたまたま拾っているだけかな?)「マルチタスクは百害あって一利なし」ですよね。

 

結局それは一見効率的であるようで、非効率にしかなりません。

ほとんどの人はマルチタスクはできるようになっていないのです。

 

改めて、一度にひとつのことに集中することを気をつけようと思いました。

 

これはマインドフルネスにも通じるところがあります。

 

一度にひとつのことに集中すると、(結果的に)効率は上がるし

例えば食事の時間なら食事を味わうことができるし、人との関わりのときはその人に集中できる。

 

その時々で、そこにある自分の感情にも気づきが多くなる。

それは広い目で見ると、幸福感や人生を生きている実感などにも関わってくると思います。

 

スマホは実害だけ? いやいやそうじゃない、使い方だ。

「テクノロジーはテクノロジーなのだから、人間のほうが慣れるしかないのだと。だが、私はそれは間違っていると思う。テクノロジーは好き嫌いにかかわらず受け入れるしかない天気とは違う。テクノロジーのほうが私たちに対応するべきであって、その逆ではないはずだ。」

(P160  第6章 SNSーー現代最強の「インフルエンサー」)

 

SNS然り、スマホゲーム然り、ネットサーフィン然り、スマホには次から次へと人を惹きつける仕掛けがたくさんあります。

 

いや、もともとはスマホだけじゃなくて、パソコンにもあった(今もある)んだけど、スマホが当たり前の時代になって、より多くの人々に浸透することで、スマホがその一端を担うツールの代表となっている。

 

言ってしまえばこういうブログだってその一端は担っているかもしれないけれど。「読む」ことで成立するブログは前時代的なので、まだマシかもしれないと信じています。(まあ、その大部分は書く時間に比して全然短時間しか読まれないのですけども)

 

それらのテクノロジーは人を惹きつけるように巧妙に計算されています。

それはなんでか、全ては「金」。「マネー」ですよ。(言い直さんでいい)

 

著者はSNSを例に挙げていますが、個人的にはスマホゲームもわかりやすく思います。

プレイヤーを手放さない仕組みが至るところに散りばめられている。

“ついつい“プレイ時間は延びます。そして“ついつい“課金したくなっちゃう仕組みに長けている。

昔のゲームに比べてシステムそのものが依存しやすいようにつくられています。

 

わたしはそんなにスマホゲームはしないほうで、これまでやったものはパズルゲームばかりなんですが、それでもやめられなくなって“ついつい“やっちゃったことはしばしば。(過去、2回だけガチャを回したくて課金したことがあります! 黒歴史。ちなみにぷよクエ)

 

でも、これは見方を変えれば。

 

いま、多くの人はテクノロジーを「使っている」ように見えて「使わされている」状態にあります。

でも、根本からシステムを変える作り方だってあったわけです。それをしないのは、簡単に言えばそっちのほうが儲かるから

 

逆の発想で、「使わされている」状態ではないテクノロジーの在り方だって創造することはできたはず。

お天気に振り回されるのとは話が違います。(あ、昨今の気候変動の視点までいくとお天気も単純に天災だけとは言い難いですが……)

 

しかししかし。

 

一般市民レベルで行くと「人に使いやすいテクノロジーの在り方」を創造するのは困難です。

そういうのはアッ◯ルさんやマ○クロソフトさんやグー◯ルさんにもっとがんばってもらいたいところ。(しないかもしれないけれど)

 

ならば何をするか。

 

ジョブズが自分の子どもに自由にiPadを使わせなかったように。

ビル・ゲイツが自分の子どものスマホの使用時間を制限したように。

 

自分たちでコントロール権を取り返すしかないじゃないか。

 

そのためには、まず自分が「コントロールしているようでコントロールされている」ことに気づくこと。

このブログを読まれているそこのあなた、チャンスですよ!(なんか店頭販売か通販の番組みたいな)

 

きっと本書を読む人は、そういうことに危機感を抱いている人で、そういう人は変わっていける可能性があると思います。

 

怖いのは、無自覚にスマホに振り回されている人たち。

いや、それ世界中の大多数の人ですよー!

そういうマジョリティになってはいけませんよー。ここはマイノリティでいきましょー

 

「スマホやパソコンに多くのことを任せるにつれ、それを操作する以外の知能が次第に失われるのではと怖くなる。でももしかすると、知能の容量を解放して、何か別の大事なことに使えるようになるのでは?(中略)そう、おそらくそうだ。だが何もかも外部委託するわけにはいかない。世界と接し、相手を批評し、目の前の情報を精査するためには、ある程度の知識が必要だ。ましてや今は、よりいっそう複雑な時代なのだ。複雑さを極めゆく社会は、私たちを懸命にする。フリン効果だ。」

(P223 第9章 脳はスマホに適応するのか?)

 

フリン効果」はニュージーランドオタゴ大学のジェームズ・フリン教授が1984年の研究論文で発表したことで、簡単にいうと「人間の知能指数(IQ)は年々上昇し続ける」ということです。

 

ちなみに著者は、スマホによってここ最近IQが低下していると警鐘を鳴らしています。

まあ、そりゃあそうですよね。知能を発達させることを手放して、その時間をスマホに当てているんだから。

SNSを見ても知能は発展しません。ゲームをしても同じです。

 

スマホによるコントロール権を自分のもとに取り戻して、「本来の便利なツール」として使うならば。

 

その空いた時間で、もっと本を読んで知識を増やそう。

得られた知識でもっとたくさん思索しよう。

それを自分だけではなく、外へ発信しよう。それは仕事かもしれないし、人と人との関わりかもしれないし、その発信の仕方は人それぞれ。

 

どんどん便利になっていることそのものは、悪いことではないのです。

 

要はその時間をどんなふうに使うか。

自分が主体的にそれを選択していくことは、人生を豊かに生きるためにとても大切なことです。

そしてそのための土台は、最初に戻りますが「睡眠」「運動」「他者との関わり」です。

 

おまけ:デジタルデトックスを実践してみた。

本書を読んだから、というのではなく、以前から興味があって(しかしタイミング的に本書を手に取るのとほぼ同時期に)、最近のあるお休みの日、デジタルデトックスを実践してみました。

 

その日は、

  • メールチェックは1日に3回だけ。(ごくまれに大切な用事のメールが届くこともあるため)
  • 必要な用事(どうしてもその日に必要な書き物)以外は、パソコン、タブレット、スマホを触らない。
  • ついでに部屋の時計も基本的に見ない。(クロノスの時間に縛られないようにするため)

 

テレビは特に制限をかけていませんが、普段からそんなに見ないのでこれは問題なし。部屋にテレビもないしね。

ちなみに暇だからとテレビをダラダラと見るのは、最近は全然していません。

 

普段のスマホ使用量

わたしは普段はスマホへの依存度は中くらいかなと自覚しています。

1日の平均使用時間は2〜3時間くらい。それでも2〜3時間!(前はスマホでゲームしていたのでプラス1時間は多かった)

 

夜寝るときはスマホの電源は消すし、SNSはそんなに熱心には見ていない。

ゲームは1日1時間くらい。(やりすぎだとは思っている。ちなみに最近はホームスケイプにハマっている。これはiPadで)

 

タブレットでゲームは1時間、スマホSafariは1時間、Twitterは30分と制限をかけています。守れないこともよくあるけど。

 

暇なとき、寝る前に寝室にスマホの電源を落とさずに持って来たとき、やることから逃避しているときなどに、”ついつい”ダラダラとスマホを触ることはあります。そういうときは1時間くらいあっという間に過ぎてしまう。頭が痛くなって後悔する。

 

デジタルデトックスをしたその日。

禁断症状はありませんでした。でも、スマホがないことはずっと意識していたと思う。

思ったよりできるもんだな」と思ったのは、最近の精神状態が安定しているのもあるでしょう。

 

気づいたこと その1:日常がデジタル機器にすっかり染まっていた。

単にSNSやネットサーフィン(わたしはYahoo!ニュースをよく見ている)をするだけがスマホじゃないんですよね。

日常こんなにもたくさんのことにスマホやデジタル機器(PCやタブレット)に頼っていることに改めて驚かされました。

 

だって音楽をかけるのもスマホ

ちょっと調べものをするのもスマホ

買い物をするのもスマホ(某熱帯雨林によくお世話になっています)

漫画を読むのもスマホやタブレット(ミノリさんは漫画は主に電子書籍派。本は紙派)

何かの申し込みや手続きをするのもデジタル機器(これはスマホだったりPCだったり)

仕事関係はもちろんPC必須、ブログの更新作業にももちろんデジタルが必要。(この辺はメインはPC、文章のみタブレット使ったり)

暇つぶしのyoutubeはもちろんデジタル。(これはスマホだったりタブレットだったりPCだったり。タブレットが多いかな)

今年に入って復活したお絵描きもタブレットでしているし。

写真を撮るのもスマホを使っているし。

 

いや。わたしはオンラインショッピングはそんなに熱心に使っているほうじゃないし

割とアナログのことも多いほうだと思っていたんだけど

 

こんなにも! 日常にデジタル機器が浸透しているんだとびっくりしました。

これって20年前にはそこまで考えられなかったこと。なんてこった。

 

つまりですね、デジタルデトックスをすると何が起こるかというと

その日はいつもやっていることの半分以上ができなくなる

ということが起きたのです。うわあ

 

気づいたこと その2:1日の時間が長く感じられた。

わたしの用事の大半はデジタル機器がないと成立しないので

デジタルデトックスをすると、あれまあ、やることがないので1日がずいぶんと長く感じました。

ついでにその日は時計をなるべく見ないようにしたので、もう本当、1日を存分に味わう感じ。

 

とりあえず休みの日は率先してやらない読書をしてみました。

いつもは読書は通勤中の電車のなかがいちばん捗るのです。

普段は家で読書をできない。他にやることが多すぎて時間を割けないのです。

わたしの場合、読書って、じっくり腰を据えて時間を作らないとできないのです。

スマホはじっくり腰を据えないでできるし、そのわりに読書よりも時間の減り方が尋常じゃないので、いたって矛盾するんですけど。

たぶんこの日から、家で読書をする習慣が復活しました。

 

そして。普段は忙しくて”ついつい”あとまわしにしていたことが、いくつか片付きました。

例えば書類の整理とか、確認とか、急がないけど必要なこと。いつかやろうと思っていたこと。

だってやることないんだもん。

 

夜寝る前も、寝室に入る前はタブレットやスマホで漫画を読んだりネットを見たりゲームしたりしていましたが、それもできないので

なんかいつもより時間があるなあ」と思いました。

 

まとめ:デジタルデトックスで得られたこと

まだ1日しか実践していませんが、その恩恵は計り知れないものでした。

わたしはたぶん普段の生活で頭が常時フル回転しているので、そうやって意識的に”何もない時間”をつくることは前から必要に感じていました。

普段の生活に強制的にブレーキがかかって、余白が生まれました。これはずっと欲しかったこと。

 

「何もない時間をつくる」ためには、デジタルから物理的に距離を置くことも大切なんだなと知りました。

そうすると、日常のなかで大切にしたいものがより鮮明に浮かび上がってきます。

あと、「何もしないでリラックスする」ことが苦手な自分もより自覚しました。

 

これからも月に1〜2回はそういう日をつくって、実践してみたいなと思います。

 

結びに変えて

デジタルはとても便利です。

スマホはもちろん、わたしは文章を書く人でもあるので、パソコンやタブレットもあることで、とても助かっています。

以前だったら、調べるのにとても時間がかかっていたことが一瞬で調べられるし(ネットの情報は精査する必要はあるし、単純に鵜呑みにもできないけれど、さっと調べられるのはやっぱり便利。例えばフリン効果について調べるとか)必要な情報にすぐにアクセスできることは、やっぱりとても便利。

文章を書くのも、手書きよりも何倍も早く書ける。書きながら思考を進めることができるのはほんとうに素晴らしい。

 

便利だからこそ、便利さをどう使っていくかは、より大事なんだろうなと思います。

 

最後に本書から引用

『「石器時代みたいな暮らしで幸せになろう」といった記事の見出しを、あなたもきっと目にしたことがあるはずだ。(中略)だが、自然に近いほうがいいと思うのは思考の罠で、よくそういう誤解が生まれるため自然主義誤謬(naturalistic fallacy)という名前がついているほどだ。私たちの祖先がそんなふうに暮らしていたからといって、それが必然的によいという意味ではない。』

(P242 第10章 おわりに)

 

おそらく著者自身も、スマホの恩恵をたくさん受けている人のひとりでしょう。

たぶんこの人もいっぱい使っていると思う。だからこそ危機感を抱いたんだと思う。

 

わたしは自然に近いところで生活するようなスローライフには興味がなくて

でも、デジタルに呑まれるのも嫌だなあと思っている。

 

自分はどうこの便利なものと付き合っていくのか、そろそろ真剣に向き合うときが来たんじゃないかなあと思います。

それに気づいた人は、さらに先へ先へと進むことができます。

 

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