たまたま知って興味のあるテーマだったので、上映している映画館へ観に行ってきました。
カンヌ映画祭でも話題になった作品だそうです。
重くて、でも大事なテーマを扱っていて、観ていて楽しい映画ではないのですが、多くの人に観てほしい、そして考えてほしいと思う映画でした。
同時に、映画を観ながら思い出した3つの作品についても取り上げてみようと思います。
「老い」や「自死」をテーマにしたものです。
※この記事では、本編・並びに引用文献類の内容(ネタバレ)について触れています。
※正解のない繊細なテーマを扱っています。人によって考え方は異なります。
映画のあらすじ
75歳以上が自らの生死を選択できる<プラン75>。
この架空の制度を媒介に、「生きる」という究極のテーマを
全世代に問いかける衝撃作が誕生した。(映画『PLAN 75』オフィシャルサイトより)
舞台は少子高齢化が進んだ、近い将来の日本。
<プラン75>とは、「満75歳以上から、生死の選択権を与える制度」です。
当事者である高齢者、それにさまざまなかたちで関わる若者、いろんな人の視点で投げかけています。
敢えて描写に不透明な曖昧さを残しているのも、この映画の特徴。
「え? それってどうなったの?」とか「どういうことなの??(あの人は何を考えているの?)」とか、物語の最後の最後までくっきりと色合いをつけずにボカしている。
だから、見る人によっては「何が言いたいのかよくわからなかった」とモヤモヤが残るかもしれません。
でも、その曖昧さは、おそらく観客に考える隙間を与えるために用意された周到な装置なのだろうと思います。
感想
実は、この映画の概要を聞いたとき、一瞬こころ惹かれてしまったんですね。
わたしは長生きしたいと思っていないから。
あとに残して心配な家族もいないし、逆に言うと面倒を見てくれる(いても見てほしくないけど)家族もいないし、お金もないし、親を看取ればあとはもう自分のことだけだから。
自分で自分の人生に区切りをつけられるのなら、それは悪くない制度じゃないかって。
でも、一方で。
親はこの制度で言うと、対象の年齢になっています。
わたしは遅くに生まれた子どもなので、親の老後も早くやってきています。
幸いにしてまだお元気なほうですけど、やっぱり歳とったなって肌で感じます。
もし親が『PLAN75』を選んだら。
これは、観る前から断言できた。
全力で反対しますよ。そんなこと、選んでほしくない。
「老害」という言葉が出てきて高齢者が生きづらくなっている世の中で、でもやっぱり自分の親にはできるだけ元気で長生きしてほしい。
でも、自分は長生きしたいと思わない。
この矛盾。
だからわたしの場合は「自分だったらこの制度を選ぶだろうか」という視点で観ていました。
*
映画を観て、リアルにこんな世界になったら嫌だなと生理的な拒否反応が起きました。
人が亡くなることは、人の命が失われることは、やっぱり重くて大変なこと。
綺麗な言葉で着飾って、うわべだけ綺麗に繕っても、経済効果とか後世の世代のためにとか謳っても、吐き気のするようなドロドロとしたもの。
PLAN75の処理施設で働くマリアさん。
故人の荷物を整理する作業。
わたしは、ユダヤ人強制収容所の姿を連想させられました。
(強制的に大量殺人をする施設と、自分の意思で死を選んだ人のための施設を同列に扱うことは違うかもしれません。でも。これ、微妙だなと思います。自由意志という名の同調圧力が起こると、やっていることの差異は縮まるんじゃないだろうか)
電話で最期のときをサポートする成宮さんも。
傍らでレクチャーするのを聞きながら、胸くそ悪そうに食事をするシーン(食事をするという行為が生きることそのものだから、あのシーンは秀逸だと思う)
一見綺麗なことを言っているけど、やっていることは誘導じゃないか。
とまあ、ある意味では、映画の誘導にまんまと乗せられたのかもしれません。
おそらく制作者側は、この制度を是としていないと思う。投げかけてはいるけれど。
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現在でも、死に関わるお仕事をしていらっしゃる方はいます。もしご気分を害されたら申し訳ありません。
例えば医療で延命治療を選択しないことと、プラン75を自ら選択することは違うのか、とか。
ほんとうに色々考えさせられました。
3つの作品をもとに
映画を観ながら3つの作品(本とか映画とか)を思い出しました。(1冊は作品ではないけれど
老いや死は基本的には誰にでもやってくるテーマです。考えるきっかけになれば。
「螺鈿迷宮」海堂尊
「チーム・バチスタの栄光」で有名な海堂尊さんの「桜宮サーガ」シリーズの1冊です。
この作品では、碧翠院桜宮病院を舞台に、老いと自殺幇助を取り上げています。
物語なので、内容は現実よりも偏っていますが、投げかけているテーマは現実的でもあります。
実際に主人公の天馬くんは、物語の中盤では何が正しいのかわからなくなります。
生まれ落ちる前、僕たちに意識はない。そして僕たちは必ず死ぬ。膨大な虚無と虚無の間の一瞬の煌めき、それが生だ。たとえその生が、死の前に必ず敗北する儚い一瞬の光芒であったとしても、いや、刹那の瞬きだからこそ、その光は限りなく愛しい。そしてその光の中で、僕たちは必ず誰かを傷つけ、罪を犯すものなのだ。
(螺鈿迷宮 終章 夢幻の城)
『もしも「死にたい」と言われたら 自殺リスクの評価と対応』」松本俊彦
精神科医の松本俊彦先生の本です。(こちらは小説ではないです)
この本では、高齢者ではなく自殺について扱っています。
自殺予防をしたい援助者のための本です。
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小説や映画などの創作作品とは一線を画しますが、「PLAN75」は言ってみれば国家規模の安楽死推進プロジェクト。
言葉を変えれば、高齢者に自死(安楽死とも)を推奨しているようなものです。
分類では専門的な本なので、割愛しますが思い出したのは筆者のあとがきです。
『(自殺予防の講演会で)お決まりの質問がある。曰く、「どうして自殺を予防しなきゃいけないのか?」、「覚悟の自殺、徹底的に理性的な自殺もあるのではないか」。
(中略)
少なくとも私の場合は、自殺に関して知れば知るほど、「人は最後まで迷っている」という確信を強めてきたからである。』
(P130 あとがきより引用)
主人公であるミチの心の内は、最後まで本人にしかわかりません。
老いていく孤独な彼女に、社会は容赦がなく無慈悲です。
それならば、自分でみずからの生を終えることを選んでも良いのではないか。
この作品の世界では、社会も国を上げて推奨しているのだし。
でも、すんなりなんの迷いもなく死を選べるものでしょうか。
寿命がきて命が尽きることと、自ら死を選ぶことは、やはり違います。
映画「マルタのやさしい刺繍」
いちばん明るいものを最後にしてみました。
映画を観ながら最初に浮かんだのはこちらの作品でした。
4人でワイワイしていて、でも話題はこれからについて(PLAN75を念頭に置いた)話をしている、一見明るいようでなんとも言えない重苦しい雰囲気を醸し出す場面で、反射のように思い出しました。
*
10年以上前の、スイス映画です。
主人公は、80歳のマルタおばあちゃん。
最愛の夫を亡くし、失意の日々を過ごすところから映画が始まります。
伴侶を亡くすことは、ときに生きる希望を失くすほどに辛く苦しいものです。
そのマルタさん含めて4人のおばあちゃん達が、スイスの田舎の小さな村のなかで革新的なご活躍をされます。
とっても素敵な映画です。わたしは大好き。
でも、冒頭はけっこう暗くて陰鬱な空気が漂っています。
若者が老人を邪魔者扱いするのは、どこの国でも似たような事情があります。
マルタは80歳を過ぎて、若い頃に夢見ていた(結婚して諦めた)ランジェリーショップを開くことを決意します。
マルタが変わるのに呼応するかのように、人生の終盤に差し掛かった友人たちにも変化が生まれます。
現実は映画のようにうまくいくことばかりではないけれど、そのように生きたいものだと思わせてくれるような素敵な映画です。
結び〜物語の結末について〜
今回はむずかしいテーマだなと思いながら、がんばって取り上げてみることにしました。
わたしは映画を観ながら、みちにも幸夫さんにも最後まで踏みとどまってほしい、生きていてほしいと願わずにはいられませんでした。
それが身勝手な他人事の願いとわかりつつも、です。
最後のみちが歌を歌うシーンは、なんともいえない気持ちになりました。
だってそれで良かったのかなんて、わからないのです。
背景にあるのは、高齢者の孤独と貧困もあります。(高齢者だけでなく、現代は若い世代でも問題としてあるのだけれど)
お金と家族に恵まれている人は、あの制度を選ぼうとはしないでしょう。
関連情報
▽今回の記事で取り上げた本、DVD